物事の上達
2013/11/06 Wed
西野流呼吸法に通って、もう23年になります。
ところが、呼吸法の実力は、というと、これがイマイチぱっとしません。
理由があります。
年数が長いだけで、その期間の3分の1はサボりですし、週に1回しか稽古には通っていません。
家での練習はほとんどしません。
よく同じ塾生からも23年というとかなりびっくりされるのですが、実力は至って普通です。
実力というのは、呼吸法を知らない人には何のことかわからないと思いますが、はっきりとわかる実力があるのです。
合気道と同じように勝ち負けが存在し、特に呼吸法の場合、強い人は常に勝つし、弱い人は常に負けるのです。
同期の人は、指導員とかになっているので、ちょっとふがいないことを感じることもあります。
同じ塾生でも、私の半分ぐらいのキャリアで指導員クラスの実力を持っておられる方も結構いますので、情けないといえば情けない話です。
実は、私は、西野流の稽古を楽しい、わくわくする、時間を忘れて没頭する、と思ったことはほとんどありません。
最初の1時間の基礎練習も、退屈、しんどい、だるい、と思ったことはあっても、楽しい、うれしい、と思ったことはないのです。
実際、稽古の時間中にチャートが頭に出てきて、ここで買ってここで売って、とか考えている自分に気がついて、いやいや今は呼吸法に専念しないと、とそのチャートの妄想を消そうと必死なのですが、そうもがけばもがくほど、相場が頭から離れなくなったりします(笑)
じゃあ、何で呼吸法が続いているのだ、というと、それは簡単です。
「効くから」です。
私は、元々体があまり強くなく、風邪をしょっちゅうひいては寝込むタイプでした。
学校や会社も年に何度も病気で休んでいました。
花粉症で春はボロボロだし、気分が悪くなって会社を休むこともしばしばでした。
西野流に通いだしてそういう自分とおさらばできたのです。
検査して、花粉症アレルギーも消えました。
稽古に熱心に通っている人にはそういう人が多いようです。
不治の病からの生還という人もいますが、もうそうなると必死で稽古に来ておられます。
(誤解のないように、呼吸法は治療行為ではありません。あくまで健康法です。)
ここは呼吸法の話をしたくて書いているのではないので簡単に書くと、生物がそもそも持っている自己免疫力を、本来持っている強さに回復させてくれるのが呼吸法だ、ということです。
本来、生き物は、病気と戦う仕組みが備わっているのですが、それが弱ってしまって病気になる。
だから、その免疫力を「人が本来持っている正常な状態」に戻してくれる、のが呼吸法だ、といことのようです。
ですので、特別なことではありません。ごく当たり前のことだ、ってことです。
まあ、受け売りです(笑)
また、そんなに好きではないので、数年とかの単位でサボると、血液検査の値は悪くなるし、腎臓結石で苦しむし、となって、また仕方なく西野塾へ復帰・・・という繰り返しです。
サボっている間に致命的な病気にならなくてよかった、と思ったりすることもあります。
つまり、私にとっては、好きで通っている、というより、週に1回通院している、といってもいいんじゃないかと思います。
病院に通っている人は、好きで通っているのではなく、行かなくては仕方がないから行っているのですよね。
それと似ています。
西野塾に出会っていなかったら、今頃死んでたんじゃないか、と時々思うぐらいですので(笑)
さて、私にとっては、好きで行っているものではないので、当然ながら、稽古にも熱が入りません。
普段も練習していません。
面倒だし、だるいし、正直あまりやりたくないのです。
結果として、上達しません。
ただ、健康である、ということに留まっています。
23年も稽古に通ってて、それはないだろう、と時々思いますが、事実なんです。
私が、呼吸法の実力がイマイチなのは、もちろん本来持っている才能がない、ということもあると思っています。
しかし、好きじゃないから、努力できない、ということも大きく響いているのです。
ちなみに、呼吸法実力者の話を聞くと「稽古が楽しい、楽しくて仕方がないから週に5日通っている」と言っておられましたね。
私は、その話を聞いて、とてもうらやましかったです。
呼吸法の実力者の方や、指導員も含め、みんな呼吸法が好きで好きで、という人たちばかりです。
やはり、というか当然というか・・・
西野先生の話を聞くと、才能を持っておられたのはもちろんなのですが、やはり超人的な努力をされてここまで辿りつかれたことがわかります。
あらゆる呼吸に関する稽古をされて、人生をかけて呼吸の本質をつかもうと努力されておられたことがわかります。
(ちなみに西野先生は、合気道師範ですが、合気道出身ではありません。そういう努力の一環として合気道をやられておられました。)
松井秀喜さんだったと思うのですが、こういう金言を述べておられました。
努力できることが才能だ
でも、努力するには、まず好きでなかったら、無理なんです。
松井さんも野球が好きだから、あれだけ努力できたんだ、と思います。
イチローもそうですし、一流と言われる方はみんなそうですよね。
私の西野塾の歴史を思い返す時、いつもこのフレーズが頭をよぎります。
残念ながら、好きでもない呼吸法を努力することができなくて、今日に至るってありさまなのです。
私としては、これだけ稽古に通っていて、本当に不本意極まりない、と思っているところですが。
さて、ということでやっと本題に(笑)
もう何を言おうとしているかおわかりですので、終わってもいいぐらいですが、私の場合、呼吸法の努力はできませんでしたが、相場の努力は、人に誇れるほどしています。
しかし、その努力というのは、「好きでやっているので、本人は努力しているとはあまり思っていない」ところに、大きな特徴があります。
当然、辛くもありません。
本もアホみたいに読んでいますし、連載にも書いているとおり、検証もまわりが呆れるほど必死でやっていました。
しかし、自分では、「好きなことを楽しんでやっているだけ」なのですよね。
みんなと一緒にスナックに行って、上手くもないカラオケを金を払って聞かされるぐらいなら、家で検証している方がずっと楽しい、ってタイプなんです。
居酒屋で酒を飲んで、上司の悪口を言い合うよりも、家でチャートを見ている方がずっと楽しいんです。
無理矢理飲みに連れて行かれた時は、早く帰ってチャートを見たくて見たくて、検証しないといけないのに、相場本も読みたい、とずっと思っていました。
一生懸命パソコンでプログラムいじっていたら気がついたら朝なんです。
徹夜してしまうと、体調がおかしくなるので、できるだけやりたくないと思っているのですが、無意識なのでつい。
そういう姿を周りから見たら、おそらく・・鬼であり、努力家、となるのかもしれませんが、趣味に没頭している、という点では、鉄道オタクの時刻表、AKBオタクのCD集め、と同じなんです。
鉄道オタクが、一日中時刻表を見て、妄想しているのと同じです。
楽しくて仕方がないのです。
逆に普通の人が時刻表を一日中見ろと言われたら、苦痛で仕方がないですよね。
物事の上達のためには、どれだけ時間を費やしたか、という飛行時間の法則、が厳然として存在するようです。
相場とて同じでしょう。
相場を当てものであるとか、当たるやり方が見つかれば勝てるようになる、と思っている手法コレクターさんにとってはスルーされる話ですが、相場で勝つには、飛行時間が必要だと私は思っています。
(まあ、手法コレクターさんにとっては、手法探訪が好きで好きで、ってことですから、まあ、これも趣味の範囲としてはいい、ということなんですがね。ただ、蛇の道なので先がありません。)
逆に言うと、「お金が儲かるから相場をやる」というだけでは、なかなかそこまで努力できないんじゃないか、と思います。
私の呼吸法と同じで、健康でいたいから、仕方なしに通っている、というのでは、呼吸法の上達は見込めない、のと同じだと思うのです。
単にお金儲けのために、というだけでは、なかなかうまく行かないのはそういう理由からかもしれません。
ふと、「呼吸法・・いつまでたっても上達しないよなあ、もう20年超えだぜ!!」と思いつつ、こんなことを考えていました。
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ところが、呼吸法の実力は、というと、これがイマイチぱっとしません。
理由があります。
年数が長いだけで、その期間の3分の1はサボりですし、週に1回しか稽古には通っていません。
家での練習はほとんどしません。
よく同じ塾生からも23年というとかなりびっくりされるのですが、実力は至って普通です。
実力というのは、呼吸法を知らない人には何のことかわからないと思いますが、はっきりとわかる実力があるのです。
合気道と同じように勝ち負けが存在し、特に呼吸法の場合、強い人は常に勝つし、弱い人は常に負けるのです。
同期の人は、指導員とかになっているので、ちょっとふがいないことを感じることもあります。
同じ塾生でも、私の半分ぐらいのキャリアで指導員クラスの実力を持っておられる方も結構いますので、情けないといえば情けない話です。
実は、私は、西野流の稽古を楽しい、わくわくする、時間を忘れて没頭する、と思ったことはほとんどありません。
最初の1時間の基礎練習も、退屈、しんどい、だるい、と思ったことはあっても、楽しい、うれしい、と思ったことはないのです。
実際、稽古の時間中にチャートが頭に出てきて、ここで買ってここで売って、とか考えている自分に気がついて、いやいや今は呼吸法に専念しないと、とそのチャートの妄想を消そうと必死なのですが、そうもがけばもがくほど、相場が頭から離れなくなったりします(笑)
じゃあ、何で呼吸法が続いているのだ、というと、それは簡単です。
「効くから」です。
私は、元々体があまり強くなく、風邪をしょっちゅうひいては寝込むタイプでした。
学校や会社も年に何度も病気で休んでいました。
花粉症で春はボロボロだし、気分が悪くなって会社を休むこともしばしばでした。
西野流に通いだしてそういう自分とおさらばできたのです。
検査して、花粉症アレルギーも消えました。
稽古に熱心に通っている人にはそういう人が多いようです。
不治の病からの生還という人もいますが、もうそうなると必死で稽古に来ておられます。
(誤解のないように、呼吸法は治療行為ではありません。あくまで健康法です。)
ここは呼吸法の話をしたくて書いているのではないので簡単に書くと、生物がそもそも持っている自己免疫力を、本来持っている強さに回復させてくれるのが呼吸法だ、ということです。
本来、生き物は、病気と戦う仕組みが備わっているのですが、それが弱ってしまって病気になる。
だから、その免疫力を「人が本来持っている正常な状態」に戻してくれる、のが呼吸法だ、といことのようです。
ですので、特別なことではありません。ごく当たり前のことだ、ってことです。
まあ、受け売りです(笑)
また、そんなに好きではないので、数年とかの単位でサボると、血液検査の値は悪くなるし、腎臓結石で苦しむし、となって、また仕方なく西野塾へ復帰・・・という繰り返しです。
サボっている間に致命的な病気にならなくてよかった、と思ったりすることもあります。
つまり、私にとっては、好きで通っている、というより、週に1回通院している、といってもいいんじゃないかと思います。
病院に通っている人は、好きで通っているのではなく、行かなくては仕方がないから行っているのですよね。
それと似ています。
西野塾に出会っていなかったら、今頃死んでたんじゃないか、と時々思うぐらいですので(笑)
さて、私にとっては、好きで行っているものではないので、当然ながら、稽古にも熱が入りません。
普段も練習していません。
面倒だし、だるいし、正直あまりやりたくないのです。
結果として、上達しません。
ただ、健康である、ということに留まっています。
23年も稽古に通ってて、それはないだろう、と時々思いますが、事実なんです。
私が、呼吸法の実力がイマイチなのは、もちろん本来持っている才能がない、ということもあると思っています。
しかし、好きじゃないから、努力できない、ということも大きく響いているのです。
ちなみに、呼吸法実力者の話を聞くと「稽古が楽しい、楽しくて仕方がないから週に5日通っている」と言っておられましたね。
私は、その話を聞いて、とてもうらやましかったです。
呼吸法の実力者の方や、指導員も含め、みんな呼吸法が好きで好きで、という人たちばかりです。
やはり、というか当然というか・・・
西野先生の話を聞くと、才能を持っておられたのはもちろんなのですが、やはり超人的な努力をされてここまで辿りつかれたことがわかります。
あらゆる呼吸に関する稽古をされて、人生をかけて呼吸の本質をつかもうと努力されておられたことがわかります。
(ちなみに西野先生は、合気道師範ですが、合気道出身ではありません。そういう努力の一環として合気道をやられておられました。)
松井秀喜さんだったと思うのですが、こういう金言を述べておられました。
努力できることが才能だ
でも、努力するには、まず好きでなかったら、無理なんです。
松井さんも野球が好きだから、あれだけ努力できたんだ、と思います。
イチローもそうですし、一流と言われる方はみんなそうですよね。
私の西野塾の歴史を思い返す時、いつもこのフレーズが頭をよぎります。
残念ながら、好きでもない呼吸法を努力することができなくて、今日に至るってありさまなのです。
私としては、これだけ稽古に通っていて、本当に不本意極まりない、と思っているところですが。
さて、ということでやっと本題に(笑)
もう何を言おうとしているかおわかりですので、終わってもいいぐらいですが、私の場合、呼吸法の努力はできませんでしたが、相場の努力は、人に誇れるほどしています。
しかし、その努力というのは、「好きでやっているので、本人は努力しているとはあまり思っていない」ところに、大きな特徴があります。
当然、辛くもありません。
本もアホみたいに読んでいますし、連載にも書いているとおり、検証もまわりが呆れるほど必死でやっていました。
しかし、自分では、「好きなことを楽しんでやっているだけ」なのですよね。
みんなと一緒にスナックに行って、上手くもないカラオケを金を払って聞かされるぐらいなら、家で検証している方がずっと楽しい、ってタイプなんです。
居酒屋で酒を飲んで、上司の悪口を言い合うよりも、家でチャートを見ている方がずっと楽しいんです。
無理矢理飲みに連れて行かれた時は、早く帰ってチャートを見たくて見たくて、検証しないといけないのに、相場本も読みたい、とずっと思っていました。
一生懸命パソコンでプログラムいじっていたら気がついたら朝なんです。
徹夜してしまうと、体調がおかしくなるので、できるだけやりたくないと思っているのですが、無意識なのでつい。
そういう姿を周りから見たら、おそらく・・鬼であり、努力家、となるのかもしれませんが、趣味に没頭している、という点では、鉄道オタクの時刻表、AKBオタクのCD集め、と同じなんです。
鉄道オタクが、一日中時刻表を見て、妄想しているのと同じです。
楽しくて仕方がないのです。
逆に普通の人が時刻表を一日中見ろと言われたら、苦痛で仕方がないですよね。
物事の上達のためには、どれだけ時間を費やしたか、という飛行時間の法則、が厳然として存在するようです。
相場とて同じでしょう。
相場を当てものであるとか、当たるやり方が見つかれば勝てるようになる、と思っている手法コレクターさんにとってはスルーされる話ですが、相場で勝つには、飛行時間が必要だと私は思っています。
(まあ、手法コレクターさんにとっては、手法探訪が好きで好きで、ってことですから、まあ、これも趣味の範囲としてはいい、ということなんですがね。ただ、蛇の道なので先がありません。)
逆に言うと、「お金が儲かるから相場をやる」というだけでは、なかなかそこまで努力できないんじゃないか、と思います。
私の呼吸法と同じで、健康でいたいから、仕方なしに通っている、というのでは、呼吸法の上達は見込めない、のと同じだと思うのです。
単にお金儲けのために、というだけでは、なかなかうまく行かないのはそういう理由からかもしれません。
ふと、「呼吸法・・いつまでたっても上達しないよなあ、もう20年超えだぜ!!」と思いつつ、こんなことを考えていました。

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