回顧録
2013/05/22 Wed
「テクニカル分析アラカルト①」とか書いて、連載意欲満々だったのですが、反響皆無ということで、見事この企画はボツ企画となりました。
次は、RCIとか考えていたので、実はこのRCI説明がものすごく難しいので、どうやって書こうかと密かに悩んでいたりしていたので、ちょっとうれしいかも(笑)
ただ、テクニカル指標というのは、何にしても、その計算式をひも解いて、その指標を作った人が、何のためにそのような計算をさせているのか、その指標の持つ考え方、を理解した方が絶対に使えると私は思っています。
それだけはお伝えしておきます。
それから、ボリンジャーバンドですが、これは標準偏差の考え方を無理矢理にチャートに当てはめていますので、これが標準偏差の2倍なら97%はこの範囲に収まる、なんて、そもそも無茶なことです。
実は、こういったテクニカル分析を懸命に勉強していたのは、もう25年も前の話でした。
テクニカル分析の記事を書いていて、色々当時の思い出が同時に思い出されて懐かしく感じました。
当時は、エクセルなど存在せず、DOSベースの「ロータス123」というソフトを使って計算させていました。
RCIという指標は、計算式だけでは無理で、マクロを駆使してやっとこさできたもので、これが計算できたときはうれしかったですねえ。
それから、当時、ゴム指数先物を使って、ボラティリティブレイクのシステムを作って、それでシステムトレードしていたことを今回の企画を書いている時に思い出してなつかしく感じました。
これは結構儲かった記憶があります。
最近になって、知り合いのシステム屋さんに昔のこのゴム指数のボラティリティブレイクの話をしたときに、「私もやっていました」と、マニアックな共感を得て大いに話が盛り上がったのを記憶しています。
当時の商品は、順張りに優しくて、小豆、ゴム指数、乾繭、生糸など、ブレイク系もよく機能していました。
中源線なども使って、順張りしていたこともありました。
色々と短期のシステムを作っては商品先物で売買していました。
手数料の関係で、株の短期売買が難しく、どうしても短期売買(数日のスイング)となると、商品先物しかなかった時代だったのですね。
これもパソコンが一般にも出回って、みんなが計算するようになると、だんだんダメになってきましたね。
人が持っていないPCを持って、人が計算していないことを計算して、人がやっていないブレイクをやる、ことで、当時はエッジがあった、ということだったのでしょう。
当時の商品市場では、林先生全盛期でしたから、基本「逆張りナンピン」が主流でしたし、順張りブレイクなど邪道、ということでしたので、逆にやり放題、という感じだったのでしょうかね。
PCなんか使うな、寄付き以外売買禁止、なんていうルールが基本でしたから、逆指値注文とか、邪道中の邪道って感じだったのですよね。
人の裏を行ったから儲かった
ということでした。
私は、ブレイク注文を逆指値で商品先物会社に入れておいて、注文ができたら、逆指値損切り注文を置くわけです。
当時は、携帯がなかったので、公衆電話で1日何回か商品会社に電話。
東京ゼネラルというところで、当時は珍しかったカウンターレディ相手に発注していました。
今でこそ当たり前のことですが、それを25年も前にやっていたのは、大したものです。
PC利用では、同じころに、オプションの方程式をPCで作って、それをワラントというオプションと似たような商品の理論価格を計算して、割安を買い、ということもやっていました。
今では当たり前のオプションの売買戦略ですが、これも当時、誰もやっていなかったことだと思います。
自分だけが「オプション方程式を使って理論価格を割り出せる」というエッジは相当に大きいはずでした。
方程式的には、割安のオプションがゴロゴロしていました。
ギヤリングから見て、もし原資産である株価が反転すれば、莫大な儲けが出るはずでした。
しかし・・・現実はそう甘くはありませんね。
理論的には正しいはずだったのですが、そもそもの原資産である株がさらに大暴落して、大損しました(笑)
方程式に絶対的な自信があった私は損切りをせずに、ナンピンしたのですよね。
自信があったが故に、大損した
のです。
自信がなければ、ナンピンなどしませんから・・
しかも、オプションの割安かどうかということに気を取られて、大事な原資産である株価の動向を見落とした、という致命的なことをやってしまったのですね。
しかも、ノーヘッジでしたから、死亡です。
裁定も大切ですが、トレンドにも注意しましょう、って話です。
LTCMと同じ末路ですね。
彼らもめちゃくちゃに自信があったからこそ、アホみたいなレバレッジをかけたことが原因して破滅したのです。
確か数千億円のファンドで、100兆円とかの金を動かしていたのですよね。
まあどうでもいい思い出話でした(笑)

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次は、RCIとか考えていたので、実はこのRCI説明がものすごく難しいので、どうやって書こうかと密かに悩んでいたりしていたので、ちょっとうれしいかも(笑)
ただ、テクニカル指標というのは、何にしても、その計算式をひも解いて、その指標を作った人が、何のためにそのような計算をさせているのか、その指標の持つ考え方、を理解した方が絶対に使えると私は思っています。
それだけはお伝えしておきます。
それから、ボリンジャーバンドですが、これは標準偏差の考え方を無理矢理にチャートに当てはめていますので、これが標準偏差の2倍なら97%はこの範囲に収まる、なんて、そもそも無茶なことです。
実は、こういったテクニカル分析を懸命に勉強していたのは、もう25年も前の話でした。
テクニカル分析の記事を書いていて、色々当時の思い出が同時に思い出されて懐かしく感じました。
当時は、エクセルなど存在せず、DOSベースの「ロータス123」というソフトを使って計算させていました。
RCIという指標は、計算式だけでは無理で、マクロを駆使してやっとこさできたもので、これが計算できたときはうれしかったですねえ。
それから、当時、ゴム指数先物を使って、ボラティリティブレイクのシステムを作って、それでシステムトレードしていたことを今回の企画を書いている時に思い出してなつかしく感じました。
これは結構儲かった記憶があります。
最近になって、知り合いのシステム屋さんに昔のこのゴム指数のボラティリティブレイクの話をしたときに、「私もやっていました」と、マニアックな共感を得て大いに話が盛り上がったのを記憶しています。
当時の商品は、順張りに優しくて、小豆、ゴム指数、乾繭、生糸など、ブレイク系もよく機能していました。
中源線なども使って、順張りしていたこともありました。
色々と短期のシステムを作っては商品先物で売買していました。
手数料の関係で、株の短期売買が難しく、どうしても短期売買(数日のスイング)となると、商品先物しかなかった時代だったのですね。
これもパソコンが一般にも出回って、みんなが計算するようになると、だんだんダメになってきましたね。
人が持っていないPCを持って、人が計算していないことを計算して、人がやっていないブレイクをやる、ことで、当時はエッジがあった、ということだったのでしょう。
当時の商品市場では、林先生全盛期でしたから、基本「逆張りナンピン」が主流でしたし、順張りブレイクなど邪道、ということでしたので、逆にやり放題、という感じだったのでしょうかね。
PCなんか使うな、寄付き以外売買禁止、なんていうルールが基本でしたから、逆指値注文とか、邪道中の邪道って感じだったのですよね。
人の裏を行ったから儲かった
ということでした。
私は、ブレイク注文を逆指値で商品先物会社に入れておいて、注文ができたら、逆指値損切り注文を置くわけです。
当時は、携帯がなかったので、公衆電話で1日何回か商品会社に電話。
東京ゼネラルというところで、当時は珍しかったカウンターレディ相手に発注していました。
今でこそ当たり前のことですが、それを25年も前にやっていたのは、大したものです。
PC利用では、同じころに、オプションの方程式をPCで作って、それをワラントというオプションと似たような商品の理論価格を計算して、割安を買い、ということもやっていました。
今では当たり前のオプションの売買戦略ですが、これも当時、誰もやっていなかったことだと思います。
自分だけが「オプション方程式を使って理論価格を割り出せる」というエッジは相当に大きいはずでした。
方程式的には、割安のオプションがゴロゴロしていました。
ギヤリングから見て、もし原資産である株価が反転すれば、莫大な儲けが出るはずでした。
しかし・・・現実はそう甘くはありませんね。
理論的には正しいはずだったのですが、そもそもの原資産である株がさらに大暴落して、大損しました(笑)
方程式に絶対的な自信があった私は損切りをせずに、ナンピンしたのですよね。
自信があったが故に、大損した
のです。
自信がなければ、ナンピンなどしませんから・・
しかも、オプションの割安かどうかということに気を取られて、大事な原資産である株価の動向を見落とした、という致命的なことをやってしまったのですね。
しかも、ノーヘッジでしたから、死亡です。
裁定も大切ですが、トレンドにも注意しましょう、って話です。
LTCMと同じ末路ですね。
彼らもめちゃくちゃに自信があったからこそ、アホみたいなレバレッジをかけたことが原因して破滅したのです。
確か数千億円のファンドで、100兆円とかの金を動かしていたのですよね。
まあどうでもいい思い出話でした(笑)

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