相場で勝つということ・・・1
2013/11/04 Mon
コメントに、「検証」ということを書いていただいています。
私は、「検証」という言葉を聞くと、ピクンと反応してしまいます。
実は、とても苦い思い出があるのですが、それに触れたいと思います。
相場を始めたきっかけというのは人それぞれですが、知人の紹介や本を読んでなど、とにかく何らかのきっかけで相場を始めたのでしょう。
私の場合、もうはるか昔のことで、今思い出しても何故始めたのか、よくわかりません。
親がやっていたので、その影響だったか、とにかく二十歳過ぎのころです。
あのころ、どういう気持ちだったのか、何がきっかけだったのか。
とにかく、ちょっと相場をかじってみた。
何も知識もなくて、経験もない、始めるということは、誰しもはそういうことだと思います。
誰にでも最初はあるのです。
ちょうど昭和のバブル相場に向かっていくところだったので、ちょこちょこ利益になったりしました。
すると、こう考えたのです。
「こんなに知識もなく、経験もないのに、これだけ儲かったのだから、もっと勉強して知識を増やしていけば、どんどん儲かるはずだ。」
少なくとも、私はそう考えました。
親は、相場が本当に下手でした。
単に博打を楽しんでいる、というだけだったので、何の教えを受けるということもありませんでした。
ですから、当時は、もっぱら本をせっせと読んで、懸命に勉強を始めました。
当時は学生でしたが、一生懸命相場の勉強にいそしむ変な学生でした。
経済学部でしたが、学校の勉強などほとんどせずに、どんどん相場の勉強にはまっていきました。
そうこう勉強していくうちに、1982年暮れのころ、いつものように梅田の旭屋書店の相場本コーナーをあさりに行っていたとき、衝撃的本に出会いました。
林輝太郎先生の書いた「脱アマ相場必勝法」という本です。
読んだ瞬間に、目からうろこという状態になって、それから毎日毎日その本を読む日々が続きました。
そして、もっと古くから出ている林先生の著作を研究所に直接注文し、5万円の中源線の本やバラコピーまで全てを買いました。
全部で10万円以上だったと思います。
今考えても、旺盛な知識欲だった、と思います。
林事務所の研究部会報の会員にもなって、商品相場レポートも購読しました。
翌1983年、伝説の立花本が出版されます。
(リンクのトレーダーズショップでは1987年4月出版となっていますが、これも再販時のものです。私の手元にあるのは1983年の初版本です。)
もうむさぼるように読みました。
今も手元にこの本がありますが、本の真ん中部分が手垢で薄黒くなっています。
もちろん本はボロボロでバラバラになりそうなほどですから、再販されたものをもう一冊持っています。
子供の頃、百科事典の科学のところを背表紙が千切れるぐらい毎日毎日読んでいたので、結局同じパターンが相場に移ったということだったのかもしれません。
知識欲だけはとにかく旺盛でした。
小学生のころ、家に、友人を呼んで実験を繰り返して、二酸化マンガンに希塩酸をかけて、塩素ガスを発生させてしまい、それを吸って病院に担ぎ込まれたという武勇伝もあるぐらいです(笑)
興味があることについては、何でも知らないと気がすまないという性質を持っているのですが、これは今も変わりません(笑)
さて、これだけ勉強したのですが、当初目論みであった「勉強すればするほど儲かるだろう」ということにはなっていませんでした。
相場を始めた当初は、素直に相場に接していたのですが、知識が増えるに従って、迷いが増えてきて、どうしていいのか、わからなくなったのです。
知識が増えたことで、迷いが深まったのです。
普通の勉強だと、知識が増えれば増えるほど、理解度が増して、正解にたどり着くことが多くなります。
また、学習が進めば進むほど、学力がアップし、入試にしても、大学の専門課程においても、上のランクに上がれるのですが、相場の勉強もこれと同じと考えていた私はどんどん迷宮にはまりはじめました。
相場の勉強の難しいところはここにあるのですが、当時の私が知る由もありませんでした。
さらに混迷度を深める事件が起こります。
それは、当時珍しかったパソコンを使ったテクニカル分析にはまったことです。
前に書いたので詳しいことはここでは書きませんが、とにかくはまってしまいました。
中学のころからパソコンが好きでプログラムとか書いていたこともあって、すっかりはまってしまいました。
林先生の本にも興味を持ったのですが、私は、同時期に出会ったこのテクニカル分析に完全にはまってしまったのです。
手書きチャートを旨とする林流をダサい、夢がない、と感じたのでした。
それよりも、
コンピューターを駆使して、相場を制覇するのが時代の最先端だろうが!!
と完全に思い込んでしまいました。
ということで、私は、せっかく出会った林先生を捨てて、チャート分析に没頭することとなりました。
それ以来、休みの日は、朝起きてから、夜眠るまで、検証、検証、そして、検証、の毎日でした。
平日も深夜まで検証。
自分の持てる時間は全て検証にかけていました。
命がけ、と言えば大げさですが、そんな感じでした。
全ての時間を検証に賭けたのです。
夜間は、時間のかかるプログラムを回して寝る。朝起きたら検証結果が出ている、という状況でした。
(今ではちょっとしたテクニカルの検証など数秒~数分ですが、昔は、簡単な検証でもものすごく時間がかかったのです。)
とにかく、100を超えるチャート分析手法が組み込まれているチャートシステムを使って、あらゆる組み合わせ、あらゆるテクニカル指標を用いて、当たるサインを探し出す、という
検証の鬼
になりました。
同じソフトを使う仲間もできて、そういう人たちも「鬼のように検証」を続けていました。
私など学生の端くれでしたから、仲間といっても私だけ断トツのペーペーでした。
というのは、1985年当時ですから、PCといっても当時50万円ほどしましたし、チャートソフトは一式で150万円とか、そんじょそこらの投資家にはとても手が出るようなものではありませんでした。
私は、学生でしたが、何とか相場で儲けた金をつぎ込んで買ったのですが、他のユーザーさんはレベルが違いました。
仲間には、資金何十億という仕手筋の方もおられましたし、専用のトレーディングルームを持って事務員を何名か雇ってチャートを書いておられる方もおられました。
仕手筋の作戦本部である事務所におじゃまさせてもらった時は、圧倒されました。
いつか自分だってこうなりたい、そう憧れを持ったものです。
また、数台のPCを24時間フル稼働させて、過去データから、勝てるチャートパターンを見つけようとされている仲間もおられました。
その方も、トレード専用ルームを作っておられました。
年齢はみなさん私よりも10~20は上の方ばかりで、資金量も億を超える方が大勢おられました。
やっとPCとソフトを買った私とはレベルが一桁、二桁ほど違いました。
しかし、思考パターンは同じで、
みんな、テクニカル分析一辺倒でした。
みんな、勝てるパターンを見つけよう、型を探そう、手法を見つけ出そう、と必死でした。
私はダントツの若手で、ペーペーだったこともあって、そういう人たちにかわいがられて、とても楽しく頑張ることができました。
月に一回ほどある交流会で、お互いに成果を発表しあうのが何よりも楽しみでした。
そんな日々が数年続いたのですが、それほど寝食を惜しんで頑張っているにも関わらず、成果はイマイチだったのです。
バブル期に向かう昭和の相場ですから、数か月下がったところを買って持ってさえいれば、儲かる相場だったのに、今から考えれば、何をやってたのだ、と歯がゆくなるぐらいです。
相場は3か月下がれば必ずその後に新高値を付ける、ということを繰り返していました。
高度経済成長を続けていた日本ですから、ファンダメンタル的背景が違い過ぎたのです。
今考えれば当たり前のことですが、当時はまるでわかっていませんでした。
こういう当然理解しておかねばならないファンダメンタル的背景をなんら理解しようともせず、ただチャートしか見ようとはしていなかったのです。
FAIの人たちが次々に億を作っていた時代背景でした。
検証上では、上手く機能するはずのものが、何故か実践においてはまるで機能しない、ということが延々と繰り返されたのですが、当時、そういうことを理解できるような知識もなく、何故そうなるのか、ということがまるでわからないままに、
努力が足りないのだ、もっともっと努力すれば、勝てる方法が見つかるはずだ
とさらに朝から晩まで検証する、という日々が続いていました。
また、あれほど努力を続けているPC仲間の皆さんも実は、私と50歩100歩だったのです。
一時的に儲かることはあっても、継続して利益を出す、ということがなかなかできずに四苦八苦されていました。
しかし、みんな何故なのか、わからずにもがいていたのです。
妙な若者でしたね。今考えれば。
当時バルブ景気真っ最中ですから、ディスコだ、酒だ、と世の中浮かれていた時です。
周りの同世代の若者が、車だ、女だ、と遊んでいる時に、せっせと検証ばかりしていたのですから(笑)
職場の同僚は、仕事が終わったら、毎日スナックだ、ラウンジだと酒と女三昧です。
その中で、一人、仕事が終わったら、一目散に家に帰って、検証なんです(笑)
しかも、付き合っているのは、10も20も上のおっさんばかり(笑)
今から思えば、もう30年近くも昔昔の話。
しかし、こんな昔から、こんなことをしていた集団があった、ということも驚き桃の木、でしょう。
年をとると、昔話が好きになる。
もう少しお付き合いください。次回。
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私は、「検証」という言葉を聞くと、ピクンと反応してしまいます。
実は、とても苦い思い出があるのですが、それに触れたいと思います。
相場を始めたきっかけというのは人それぞれですが、知人の紹介や本を読んでなど、とにかく何らかのきっかけで相場を始めたのでしょう。
私の場合、もうはるか昔のことで、今思い出しても何故始めたのか、よくわかりません。
親がやっていたので、その影響だったか、とにかく二十歳過ぎのころです。
あのころ、どういう気持ちだったのか、何がきっかけだったのか。
とにかく、ちょっと相場をかじってみた。
何も知識もなくて、経験もない、始めるということは、誰しもはそういうことだと思います。
誰にでも最初はあるのです。
ちょうど昭和のバブル相場に向かっていくところだったので、ちょこちょこ利益になったりしました。
すると、こう考えたのです。
「こんなに知識もなく、経験もないのに、これだけ儲かったのだから、もっと勉強して知識を増やしていけば、どんどん儲かるはずだ。」
少なくとも、私はそう考えました。
親は、相場が本当に下手でした。
単に博打を楽しんでいる、というだけだったので、何の教えを受けるということもありませんでした。
ですから、当時は、もっぱら本をせっせと読んで、懸命に勉強を始めました。
当時は学生でしたが、一生懸命相場の勉強にいそしむ変な学生でした。
経済学部でしたが、学校の勉強などほとんどせずに、どんどん相場の勉強にはまっていきました。
そうこう勉強していくうちに、1982年暮れのころ、いつものように梅田の旭屋書店の相場本コーナーをあさりに行っていたとき、衝撃的本に出会いました。
林輝太郎先生の書いた「脱アマ相場必勝法」という本です。
読んだ瞬間に、目からうろこという状態になって、それから毎日毎日その本を読む日々が続きました。
そして、もっと古くから出ている林先生の著作を研究所に直接注文し、5万円の中源線の本やバラコピーまで全てを買いました。
全部で10万円以上だったと思います。
今考えても、旺盛な知識欲だった、と思います。
林事務所の研究部会報の会員にもなって、商品相場レポートも購読しました。
翌1983年、伝説の立花本が出版されます。
(リンクのトレーダーズショップでは1987年4月出版となっていますが、これも再販時のものです。私の手元にあるのは1983年の初版本です。)
もうむさぼるように読みました。
今も手元にこの本がありますが、本の真ん中部分が手垢で薄黒くなっています。
もちろん本はボロボロでバラバラになりそうなほどですから、再販されたものをもう一冊持っています。
子供の頃、百科事典の科学のところを背表紙が千切れるぐらい毎日毎日読んでいたので、結局同じパターンが相場に移ったということだったのかもしれません。
知識欲だけはとにかく旺盛でした。
小学生のころ、家に、友人を呼んで実験を繰り返して、二酸化マンガンに希塩酸をかけて、塩素ガスを発生させてしまい、それを吸って病院に担ぎ込まれたという武勇伝もあるぐらいです(笑)
興味があることについては、何でも知らないと気がすまないという性質を持っているのですが、これは今も変わりません(笑)
さて、これだけ勉強したのですが、当初目論みであった「勉強すればするほど儲かるだろう」ということにはなっていませんでした。
相場を始めた当初は、素直に相場に接していたのですが、知識が増えるに従って、迷いが増えてきて、どうしていいのか、わからなくなったのです。
知識が増えたことで、迷いが深まったのです。
普通の勉強だと、知識が増えれば増えるほど、理解度が増して、正解にたどり着くことが多くなります。
また、学習が進めば進むほど、学力がアップし、入試にしても、大学の専門課程においても、上のランクに上がれるのですが、相場の勉強もこれと同じと考えていた私はどんどん迷宮にはまりはじめました。
相場の勉強の難しいところはここにあるのですが、当時の私が知る由もありませんでした。
さらに混迷度を深める事件が起こります。
それは、当時珍しかったパソコンを使ったテクニカル分析にはまったことです。
前に書いたので詳しいことはここでは書きませんが、とにかくはまってしまいました。
中学のころからパソコンが好きでプログラムとか書いていたこともあって、すっかりはまってしまいました。
林先生の本にも興味を持ったのですが、私は、同時期に出会ったこのテクニカル分析に完全にはまってしまったのです。
手書きチャートを旨とする林流をダサい、夢がない、と感じたのでした。
それよりも、
コンピューターを駆使して、相場を制覇するのが時代の最先端だろうが!!
と完全に思い込んでしまいました。
ということで、私は、せっかく出会った林先生を捨てて、チャート分析に没頭することとなりました。
それ以来、休みの日は、朝起きてから、夜眠るまで、検証、検証、そして、検証、の毎日でした。
平日も深夜まで検証。
自分の持てる時間は全て検証にかけていました。
命がけ、と言えば大げさですが、そんな感じでした。
全ての時間を検証に賭けたのです。
夜間は、時間のかかるプログラムを回して寝る。朝起きたら検証結果が出ている、という状況でした。
(今ではちょっとしたテクニカルの検証など数秒~数分ですが、昔は、簡単な検証でもものすごく時間がかかったのです。)
とにかく、100を超えるチャート分析手法が組み込まれているチャートシステムを使って、あらゆる組み合わせ、あらゆるテクニカル指標を用いて、当たるサインを探し出す、という
検証の鬼
になりました。
同じソフトを使う仲間もできて、そういう人たちも「鬼のように検証」を続けていました。
私など学生の端くれでしたから、仲間といっても私だけ断トツのペーペーでした。
というのは、1985年当時ですから、PCといっても当時50万円ほどしましたし、チャートソフトは一式で150万円とか、そんじょそこらの投資家にはとても手が出るようなものではありませんでした。
私は、学生でしたが、何とか相場で儲けた金をつぎ込んで買ったのですが、他のユーザーさんはレベルが違いました。
仲間には、資金何十億という仕手筋の方もおられましたし、専用のトレーディングルームを持って事務員を何名か雇ってチャートを書いておられる方もおられました。
仕手筋の作戦本部である事務所におじゃまさせてもらった時は、圧倒されました。
いつか自分だってこうなりたい、そう憧れを持ったものです。
また、数台のPCを24時間フル稼働させて、過去データから、勝てるチャートパターンを見つけようとされている仲間もおられました。
その方も、トレード専用ルームを作っておられました。
年齢はみなさん私よりも10~20は上の方ばかりで、資金量も億を超える方が大勢おられました。
やっとPCとソフトを買った私とはレベルが一桁、二桁ほど違いました。
しかし、思考パターンは同じで、
みんな、テクニカル分析一辺倒でした。
みんな、勝てるパターンを見つけよう、型を探そう、手法を見つけ出そう、と必死でした。
私はダントツの若手で、ペーペーだったこともあって、そういう人たちにかわいがられて、とても楽しく頑張ることができました。
月に一回ほどある交流会で、お互いに成果を発表しあうのが何よりも楽しみでした。
そんな日々が数年続いたのですが、それほど寝食を惜しんで頑張っているにも関わらず、成果はイマイチだったのです。
バブル期に向かう昭和の相場ですから、数か月下がったところを買って持ってさえいれば、儲かる相場だったのに、今から考えれば、何をやってたのだ、と歯がゆくなるぐらいです。
相場は3か月下がれば必ずその後に新高値を付ける、ということを繰り返していました。
高度経済成長を続けていた日本ですから、ファンダメンタル的背景が違い過ぎたのです。
今考えれば当たり前のことですが、当時はまるでわかっていませんでした。
こういう当然理解しておかねばならないファンダメンタル的背景をなんら理解しようともせず、ただチャートしか見ようとはしていなかったのです。
FAIの人たちが次々に億を作っていた時代背景でした。
検証上では、上手く機能するはずのものが、何故か実践においてはまるで機能しない、ということが延々と繰り返されたのですが、当時、そういうことを理解できるような知識もなく、何故そうなるのか、ということがまるでわからないままに、
努力が足りないのだ、もっともっと努力すれば、勝てる方法が見つかるはずだ
とさらに朝から晩まで検証する、という日々が続いていました。
また、あれほど努力を続けているPC仲間の皆さんも実は、私と50歩100歩だったのです。
一時的に儲かることはあっても、継続して利益を出す、ということがなかなかできずに四苦八苦されていました。
しかし、みんな何故なのか、わからずにもがいていたのです。
妙な若者でしたね。今考えれば。
当時バルブ景気真っ最中ですから、ディスコだ、酒だ、と世の中浮かれていた時です。
周りの同世代の若者が、車だ、女だ、と遊んでいる時に、せっせと検証ばかりしていたのですから(笑)
職場の同僚は、仕事が終わったら、毎日スナックだ、ラウンジだと酒と女三昧です。
その中で、一人、仕事が終わったら、一目散に家に帰って、検証なんです(笑)
しかも、付き合っているのは、10も20も上のおっさんばかり(笑)
今から思えば、もう30年近くも昔昔の話。
しかし、こんな昔から、こんなことをしていた集団があった、ということも驚き桃の木、でしょう。
年をとると、昔話が好きになる。
もう少しお付き合いください。次回。
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