昔の自分に言ってやりたいこと
2015/02/21 Sat
5時に夢中、という番組があって、月曜日に、マツコと若林史江さんがコメンテイターとして出ています。
私は、若林さんは、トレーダーとしては前から知っていたのですが、「テレビに出て、どうせちゃらちゃらしていて、株トレーダーを売りにしている人なんだろう。」とぐらいにしか思っていませんでした。
しかし、この5時に夢中の月曜日に出ている時のコメントを見ていて、その考えが間違いだったことに気がつきます。
実に、物事をよく考えているし、ウイットにも富んでいる、マツコを食っているぐらいに存在感がある。とにかくかなり頭がよい。
ということで、変な先入観を持ってしまって若林さん、すみません。
そういえば、彼女のツイッターもフォローしていた。。。
それ以来、月曜日だけですが、いつも見ています。
5時に夢中月曜日
結構、面白いです。
私は、頭のいいこういうタイプが好きかもしれません。
つい最近も頭のいい子と話しましたが、やはり救われます(笑)
普通はあまり好かれないだろうなぁー、とか・・・男は天然系がやはり好きですからねえ。
さて、最近ふと「昔の自分にもしも会えるなら、何を言ってやりたいか」ということを思っていました。
すると、もう山ほどあるわけですが、その最大のものを書いてみたいと思います。
まず、儲からなかったころの自分が一番勘違いしていること、とにかく、これを直さないと相場では絶対に勝てないので、それを指摘する、ということが何より重要でしょう。
それは、いつもここで書いていることですが、
勝てる方法をいくら探しても無駄だよ!!
ってことです。
ただ、いくら指摘したところで、理解できるかどうかは別問題で、多分、当時の自分には理解できない、と100%断言します。
相場をはじめてから、2年~14年目あたりでしょうかね。
とにかく、必勝法を求めて必死でした。
みなさんには伝わらないと思いますが、このとき、筆舌に尽くしがたいぐらい努力しています。
1987年頃だったかなあ、当時珍しかったパソコン(40万円)を買って、高額分析ソフト(100万円)を買って、24時間ずっと、「必勝法」を探していました。
起きている時は、ずっと、寝ていても夢の中で必勝法を探していました。
当時は、テクニカル分析の本が珍しかったので、北浜にある証券図書館というところに行って、洋書を片っ端から読んで、これはいいという本は、全部コピーして帰りました。
旭屋書店だったか、洋書コーナーで、相場の本があれば、かなり買い込んで、むさぼるように読みました。
自分の思い込みは、ただ1つ。
勝てる方法が見つかれば、相場は勝てるようになる理論
の思い込みが100%でしたから、とにかく、勝てる方法を探すのに鬼の形相で、毎日毎日探していましたね。
あらゆるテクニカル分析をマスターし、洋書を読み、当時ロータス123というソフトで(エクセルが無かったので)、パラボリックなど、プログラムが難しい指数もマクロでプログラムを組んで動かしていました。
スプレッドシートなるものも、ほとんど誰も知らない時代でした。
パラボリックが書いてあったワイルダーの原書を証券図書館でコピーしたのを懐かしく思い出されます。
当時、日本では誰ひとりとして「パラボリック」なるものは知らなかったのではないかと思いますね。
また、当時はオプションが無かったのですが、ワラント、外貨建てワラント、転換社債、という今のオプションのようなものが結構人気があったので、それを当時珍しかったブラックショールズモデルまがいの方程式をロータスで組んで、割安割高を探してトレードしたこともあります。
色んな先生の元にも足を運びました。
東京に出向いては、人形町の事務所におられた林先生のところにも何度もおじゃましました。
そのとき、このワラントの話を林輝太郎先生にしたら、「ややこしいものはダメだ」と一喝されましたが(笑)
みなさんの多くも、今現在、現役で、勝てる方法探しに奔走され、一生懸命に探しておられることでしょう。
せっせと、シミュレーション、検証、そして、あらゆる必勝本、情報商材を買いあさっているみなさん・・・
本屋に通って、やり方本、有名トレーダーの具体的やり方を書いてあるムック本を買いあさっているみなさん・・・
ご苦労さまです!!
どうやったら勝てるようになるのか、これを考えることは、投資家として、当然でしょうし、夢なんです。
そう考えるのが、普通の流れだと思うのですよ。
そう考えるのが普通ですし、それが一般的であり、99%の人が辿る道なんです。だから普通なんです。
ただ・・・その普通ってこと、実は、相場では厄介なことに、「普通じゃダメなんです。」
特殊でなくては、いつまでも負け組で終わるんですよね。
私は、努力の方向を完全に間違ったまま、いくら努力しても、無駄な努力を延々と続けていました。
今から考えれば、本当に、自分が気の毒でなりません。
答え探しというのは、いくら努力しても、上達しないんです。
そもそも、試験勉強とは違って、答えの無いのが相場なのに、子供の頃からやってきたように「どこかに答えがあるはずだ」という強い思い込みで、失敗をしました。
私の失敗は、プロセスの失敗だったのです。
この失敗は、どこで決着が付くのか、どう更生することができたのか、というと、結局、それは、1996年まで時間がかかります。
相場を始めたのが1981年頃ですから、実に15年間にわたり私は無駄な努力を延々と続けていたのです。
当時、自分の全ての時間を相場に使っていました。
私の青春というのは、ほぼ「相場の勝ち方探し」に注ぎ込んだ、と言えるでしょう。
一番楽しい20代の頃、ずっと相場を見続けて、時間のほどんどを費やしていましたものね。
バブル景気華やかなころでしたから、会社が終わって、みんなが遊びにいく、飲みに行く、といっても私は真っ直ぐ家に帰って、すぐにパソコンのスイッチを入れて、それから深夜まで研究研究。
土日は、早朝から研究分析に費やして、気がつけば、日曜の深夜・・・という日々を延々と続けていました。
あの頃が一番努力しましたね。
ただ、その努力は楽しかった。本当に楽しかった、何故なら・・・
「勝てる方法探し」「具体的な勝てるやり方探し」というのは、宝探しなんです。
トレジャーハンティングなんですよ。
トレージャーハンティングは、めちゃくちゃに面白いんです。夢がある、希望がある!!
だから、やめられないんです。
ただ、その全ての努力は、完全なる無駄でした。
いいですか、100%無駄でした。
銅から金を作る、という錬金術と同じですよ。いくら努力しても、無駄ですから。
さて、ここで、無駄、って話だけで終わっては、申し訳ないので(笑)
どう更生したのか、手短に書いておきます。
私のブログを読んでいる2~3名のファンの方はもうご存じなので、読み飛ばして貰えればいいすが(汗)
1996年、いくら努力しても努力しても延々とダメな年月をいたずらに過ごし、もう「刀折れ矢尽きる」という状態で、ヘロヘロ、もう後1年努力してダメだったら、もう自分には才能が無いのだから、相場から足を洗おう、と思っていたときでした。
受け渡しのために訪問していた商品先物会社の店頭で、ふと手にした「先物雑誌」という本を何となく読んでいたところ、ある人の記事に目が釘付けになりました。
本当に驚きました。というより、私にとっては、雷に打たれたような記事でした。
リスク管理に関する記事でした。
慌てて、営業の女性に、その記事全部を過去のバックナンバーからコピーしてくれるようお願いし、家に帰って、何度も何度も、1日中読み返していました。
丁度、立花さんが、ある蛎殻町の商品先物会社のおじいさんの話に衝撃を受けたのと似たような感じです。
その記事を書いていた人が、野川徹氏でした。
そして、野川氏が、ブートキャンプを開くということが先物雑誌に掲載されたので、迷うこと無くキャンプに入隊しました。
丁度夏だったと思います。
キャンプで何をしたのか、どういうトレーニングを受けたのか、というのは過去の記事でも書いていますし、長くなるので、省略しますが、要するに、キャンプ4年間で何が一番重要だったのか、というと、
相場で勝つにはやり方じゃないよ、練習だよ!!
ってことだったんです。
私は、最初、当然のことながら、「プロが勝てる方法を教えてくれるのだ」と期待して入隊しました。
しかし、入隊直後、その期待は見事に裏切られます。
というより、入隊からいくら経過しても、やることは、既に知っているありきたり過ぎるほどありきたりなやり方だけだったからです。
何か知りたいですか。その「具体的なやり方」(笑)
あんたも好きだねえ、具体的やり方!!
別に隠すことでもなんでもありませんので、あっさりと書いてしまいますが、
ブレイク
です。
たったこれだけ。
がっかりしましたか。
期待させてしまってすみません。
私も、キャンプ入隊を後悔したぐらいがっかりしましたからね(笑)
ブレイクかよ、ただの順張りかよ!!
そんなの知っている、わかっている・・・
ただし、やったことないけどね!!
誤解の無いように書いておきますが、ブレイクやってそれで勝てたのだ、って話じゃないですからね。
ブレイクやって、負けて負けて負けてだったんですから、誤解されないように(笑)
来る日も来る日も、ブレイクアウトをやって、しかも。、負ける。負ける。負ける。負ける。
たまに勝ちかけても、粘るから、折り返されてまた負ける。
やり続けていて、「こんな負けることを続けていて、何がプロなんだ。こんなことやっても何の意味もないわ。」そう感じました。
プロが直接手ほどきをということで入隊したものの、やらされるのは、ありきたり、どこまで行ってもありきたり。
しかも、それが勝つのならまだしも、負けるんですから、みんな納得しないですよ。そりゃそうです。
キャンプ料だって、安くないものでしたからね。
正直、何度もやめたくなりました。
キャンプから脱走したかった。
訓練生のかなりの仲間は、最初の1年間ぐらいで脱走していきました。常識では当然かもしれません。
でも、私はしなかった。
何故なら、もうこれを逃したら後が無いと思ったから。
そして、何よりも
負け犬である私の価値観よりも、キャンプを主催している野川軍曹の方が間違いなく正しい!!
と思っていたからです。
私の価値観や考え方など、所詮は負け犬の考えていることなんです。
それよりも、プロが言うことの方が正しいに決っている。
自分の価値観などクソ食らえ、そう思いました。
自分は間違いなく間違っている。何故なら、負け犬だから。
目先の勝ったとか、負けたとか、そんなことはどうでもよい。
だから、残った。
涙目で食い下がっていった。
4年間の訓練期間を終わって、メニューを消化した残り少ない卒業生は、ほぼ全員「勝ち組」に変わっていました。
その中には、10年間負け続けていた私も含まれていました。
たぶん、他の多くの隊員も同じような人たちだったと思います。
ここでまた誤解させるといけないので、予め言っておきますが、勝てるようになったのは、「特別なブレイク」をマスターしたのでもなく、特殊な勝てる方法を見つけたからでもないですからね。
手法にこだわる人は、いつも「どういうブレイクですか」とか、「何が変わったのですか」とか言ってきますから、とにかく、手法が儲けさせてくれる、と思い込んでいるので、やり方を聞かないと納得しないんです。
かんなを使いこなすのに、かんな磨き10年、でやっと一人前
と同じで、やり方など、ただの道具なんです。
道具の使い方は、使いこなしてこそ、ってことに早く気が付くべきで、
道具が儲けさせてくれることはありません。
かんなは、かんな自体が家を建てるわけではなく、大工さんが使いこなしてこそ、使いこなせる腕があってこそ、意味があるんです。
キャンプ生活で、何が自分の中で最も変わったのか、というと、
相場で勝つこととは、勝てる方法を探すことではなく、練習して上手くなることである
という考え方の大転換だったのです。
4年間、野川軍曹から、いやというほど、実戦で強制的に練習させられたわけです。
実弾を投入して、負けて負けて負けて・・・
たったこれだけのこと。
そして、4年間、負け続けた、というより、どれだけ大量に負けたのか、が勝負だった。
負けの数をどれだけこなすのか、ってことに重要な意味があった。
ってことだったのです。
私は、こうして、「キャンプ入隊によって」「強制的に」「誤った考え方から正しいレールに乗せられた」わけです。
ポイントは、ですねえ。実はこれすごくポイントなんですが、
トレードとは練習して上手くなるものだ
ということ。
これを理解するためには、私はプロから教わって、強制的にやらされて、しかも時間が4年間もかかってる、っていう事実なんです。
言葉では、こんなに簡単なことなんです。しかし、理解するのはものすごく難しいし、納得などできようはずがありません。
でも、やり方なんでしょ、ってことです。
この記事読んで頂いた方、5名ぐらいはおられると思いますが、基本この話は「読み捨て」だろうと思います。
「トレードは練習して上手くなるものだ」というたったこれだけの話ですが、本当は理解はできていないと思いますね。
多分、コメントで共感してくださる方がいるとは思いますが、その人たちは「既にこの試練を乗り越えてわかっている人たち」なんです。
コメントありがたいですが、もうわかっている人に書いて頂いているケースがほとんどなんですよ。
それが私にはわかっています。
私も、キャンプの最初にこれを言われても、理解もできなかったし、納得もしなかったと自信を持って言えます。
デロリアンに乗った未来の自分が来て「トレードは練習して上手くなるものだ」と言ったとしても、頑として信じなかったでしょうしね。
4年間、有無を言わさずに強制的に練習させられて、やっと最後に「ああ、こういうことだったのか」と理解できたくらいですからね。
こうやって言葉で簡単に言われたことなど、人間理解できるはずなどないんです。
ただ、この恩は、一生忘れることない恩でしょう。
私は、キャンプによって、一生が変わりました。
自力で更生することは、100%無理だったと思います。
それほど「具体的な勝てる方法探し」という思い込みが強かったですから。
このキャンプ生活が無ければ、今もサラリーマンだったと思います。
相場は続けていたかどうか、わかりませんが、細々とやっては「また今年もトータルでは負けたのか」って感じでしょうかね。
しかしですねえ・・・実は、相場をはじめて、最初に出会った林先生の本には、こういう練習メニューも含めて、全て丁寧に書いてあったのです!!
私は、この驚愕の事実を最初に本を読んだ20年後に知ることになるんです。
この時、私は、もう泣きそうになっていました。
あの全ての努力が、10年間、寝る間も惜しんで努力したことは、全て無駄でしたからね。
最初に読んだ、林先生の本のとおりに、きちんと練習していさえすればよかったのに、それをやりかけた時もあったのに、私は、キラキラしている宝探しに走ってしまったんです。
私は自分自身つくづくアホだと思いましたね。
相場をはじめて1年目に読んだ本に答えが全部あったのに、「具体的やり方にしか目に入らず」それを素通りしている自分に20年後にやっと気がつくあたり。
アホすぎて、呆れるほどにアホです。
いや、本当に、今こうやって書いていて、本当にアホな自分に呆れますね。
情けないわ。ほんとに。
若気の至りって、そんなもんなんでしょうね。
改めて、過去の自分に一番言いたいこと、
お前、ほんまにアホやな!!
真実のこと、読んでて、素通りかよ!!
ほんでもって、ゴミにもならんことに必死こいて、アホすぎ、何度でも言えるけどアホすぎ!!
私のブログは、この「アホすぎ記録」の反省がベースで成立しているんですよね。
「ストイックなアホ大将のアホ記録とその猛反省日誌」という隠れブログ名が正確にこのブログを物語っています(笑)
それからねえ、もう一つ過去の自分に言いたかったこと、
若いんやから、もっと遊んどけ、アホ!!
多分、死ぬとき、もっと遊んで楽しんでおけばよかったとは後悔しても、もっとまじめにしてればよかった、とは絶対に後悔しないと思いますからね。
死ぬとき、こんなに遊びつくして、幸せな人生だった、と思いたい、と今ものすごく思います。
だから、思いっきり遊ぶことにした・・・今頃かよ!!

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私は、若林さんは、トレーダーとしては前から知っていたのですが、「テレビに出て、どうせちゃらちゃらしていて、株トレーダーを売りにしている人なんだろう。」とぐらいにしか思っていませんでした。
しかし、この5時に夢中の月曜日に出ている時のコメントを見ていて、その考えが間違いだったことに気がつきます。
実に、物事をよく考えているし、ウイットにも富んでいる、マツコを食っているぐらいに存在感がある。とにかくかなり頭がよい。
ということで、変な先入観を持ってしまって若林さん、すみません。
そういえば、彼女のツイッターもフォローしていた。。。
それ以来、月曜日だけですが、いつも見ています。
5時に夢中月曜日
結構、面白いです。
私は、頭のいいこういうタイプが好きかもしれません。
つい最近も頭のいい子と話しましたが、やはり救われます(笑)
普通はあまり好かれないだろうなぁー、とか・・・男は天然系がやはり好きですからねえ。
さて、最近ふと「昔の自分にもしも会えるなら、何を言ってやりたいか」ということを思っていました。
すると、もう山ほどあるわけですが、その最大のものを書いてみたいと思います。
まず、儲からなかったころの自分が一番勘違いしていること、とにかく、これを直さないと相場では絶対に勝てないので、それを指摘する、ということが何より重要でしょう。
それは、いつもここで書いていることですが、
勝てる方法をいくら探しても無駄だよ!!
ってことです。
ただ、いくら指摘したところで、理解できるかどうかは別問題で、多分、当時の自分には理解できない、と100%断言します。
相場をはじめてから、2年~14年目あたりでしょうかね。
とにかく、必勝法を求めて必死でした。
みなさんには伝わらないと思いますが、このとき、筆舌に尽くしがたいぐらい努力しています。
1987年頃だったかなあ、当時珍しかったパソコン(40万円)を買って、高額分析ソフト(100万円)を買って、24時間ずっと、「必勝法」を探していました。
起きている時は、ずっと、寝ていても夢の中で必勝法を探していました。
当時は、テクニカル分析の本が珍しかったので、北浜にある証券図書館というところに行って、洋書を片っ端から読んで、これはいいという本は、全部コピーして帰りました。
旭屋書店だったか、洋書コーナーで、相場の本があれば、かなり買い込んで、むさぼるように読みました。
自分の思い込みは、ただ1つ。
勝てる方法が見つかれば、相場は勝てるようになる理論
の思い込みが100%でしたから、とにかく、勝てる方法を探すのに鬼の形相で、毎日毎日探していましたね。
あらゆるテクニカル分析をマスターし、洋書を読み、当時ロータス123というソフトで(エクセルが無かったので)、パラボリックなど、プログラムが難しい指数もマクロでプログラムを組んで動かしていました。
スプレッドシートなるものも、ほとんど誰も知らない時代でした。
パラボリックが書いてあったワイルダーの原書を証券図書館でコピーしたのを懐かしく思い出されます。
当時、日本では誰ひとりとして「パラボリック」なるものは知らなかったのではないかと思いますね。
また、当時はオプションが無かったのですが、ワラント、外貨建てワラント、転換社債、という今のオプションのようなものが結構人気があったので、それを当時珍しかったブラックショールズモデルまがいの方程式をロータスで組んで、割安割高を探してトレードしたこともあります。
色んな先生の元にも足を運びました。
東京に出向いては、人形町の事務所におられた林先生のところにも何度もおじゃましました。
そのとき、このワラントの話を林輝太郎先生にしたら、「ややこしいものはダメだ」と一喝されましたが(笑)
みなさんの多くも、今現在、現役で、勝てる方法探しに奔走され、一生懸命に探しておられることでしょう。
せっせと、シミュレーション、検証、そして、あらゆる必勝本、情報商材を買いあさっているみなさん・・・
本屋に通って、やり方本、有名トレーダーの具体的やり方を書いてあるムック本を買いあさっているみなさん・・・
ご苦労さまです!!
どうやったら勝てるようになるのか、これを考えることは、投資家として、当然でしょうし、夢なんです。
そう考えるのが、普通の流れだと思うのですよ。
そう考えるのが普通ですし、それが一般的であり、99%の人が辿る道なんです。だから普通なんです。
ただ・・・その普通ってこと、実は、相場では厄介なことに、「普通じゃダメなんです。」
特殊でなくては、いつまでも負け組で終わるんですよね。
私は、努力の方向を完全に間違ったまま、いくら努力しても、無駄な努力を延々と続けていました。
今から考えれば、本当に、自分が気の毒でなりません。
答え探しというのは、いくら努力しても、上達しないんです。
そもそも、試験勉強とは違って、答えの無いのが相場なのに、子供の頃からやってきたように「どこかに答えがあるはずだ」という強い思い込みで、失敗をしました。
私の失敗は、プロセスの失敗だったのです。
この失敗は、どこで決着が付くのか、どう更生することができたのか、というと、結局、それは、1996年まで時間がかかります。
相場を始めたのが1981年頃ですから、実に15年間にわたり私は無駄な努力を延々と続けていたのです。
当時、自分の全ての時間を相場に使っていました。
私の青春というのは、ほぼ「相場の勝ち方探し」に注ぎ込んだ、と言えるでしょう。
一番楽しい20代の頃、ずっと相場を見続けて、時間のほどんどを費やしていましたものね。
バブル景気華やかなころでしたから、会社が終わって、みんなが遊びにいく、飲みに行く、といっても私は真っ直ぐ家に帰って、すぐにパソコンのスイッチを入れて、それから深夜まで研究研究。
土日は、早朝から研究分析に費やして、気がつけば、日曜の深夜・・・という日々を延々と続けていました。
あの頃が一番努力しましたね。
ただ、その努力は楽しかった。本当に楽しかった、何故なら・・・
「勝てる方法探し」「具体的な勝てるやり方探し」というのは、宝探しなんです。
トレジャーハンティングなんですよ。
トレージャーハンティングは、めちゃくちゃに面白いんです。夢がある、希望がある!!
だから、やめられないんです。
ただ、その全ての努力は、完全なる無駄でした。
いいですか、100%無駄でした。
銅から金を作る、という錬金術と同じですよ。いくら努力しても、無駄ですから。
さて、ここで、無駄、って話だけで終わっては、申し訳ないので(笑)
どう更生したのか、手短に書いておきます。
私のブログを読んでいる2~3名のファンの方はもうご存じなので、読み飛ばして貰えればいいすが(汗)
1996年、いくら努力しても努力しても延々とダメな年月をいたずらに過ごし、もう「刀折れ矢尽きる」という状態で、ヘロヘロ、もう後1年努力してダメだったら、もう自分には才能が無いのだから、相場から足を洗おう、と思っていたときでした。
受け渡しのために訪問していた商品先物会社の店頭で、ふと手にした「先物雑誌」という本を何となく読んでいたところ、ある人の記事に目が釘付けになりました。
本当に驚きました。というより、私にとっては、雷に打たれたような記事でした。
リスク管理に関する記事でした。
慌てて、営業の女性に、その記事全部を過去のバックナンバーからコピーしてくれるようお願いし、家に帰って、何度も何度も、1日中読み返していました。
丁度、立花さんが、ある蛎殻町の商品先物会社のおじいさんの話に衝撃を受けたのと似たような感じです。
その記事を書いていた人が、野川徹氏でした。
そして、野川氏が、ブートキャンプを開くということが先物雑誌に掲載されたので、迷うこと無くキャンプに入隊しました。
丁度夏だったと思います。
キャンプで何をしたのか、どういうトレーニングを受けたのか、というのは過去の記事でも書いていますし、長くなるので、省略しますが、要するに、キャンプ4年間で何が一番重要だったのか、というと、
相場で勝つにはやり方じゃないよ、練習だよ!!
ってことだったんです。
私は、最初、当然のことながら、「プロが勝てる方法を教えてくれるのだ」と期待して入隊しました。
しかし、入隊直後、その期待は見事に裏切られます。
というより、入隊からいくら経過しても、やることは、既に知っているありきたり過ぎるほどありきたりなやり方だけだったからです。
何か知りたいですか。その「具体的なやり方」(笑)
あんたも好きだねえ、具体的やり方!!
別に隠すことでもなんでもありませんので、あっさりと書いてしまいますが、
ブレイク
です。
たったこれだけ。
がっかりしましたか。
期待させてしまってすみません。
私も、キャンプ入隊を後悔したぐらいがっかりしましたからね(笑)
ブレイクかよ、ただの順張りかよ!!
そんなの知っている、わかっている・・・
ただし、やったことないけどね!!
誤解の無いように書いておきますが、ブレイクやってそれで勝てたのだ、って話じゃないですからね。
ブレイクやって、負けて負けて負けてだったんですから、誤解されないように(笑)
来る日も来る日も、ブレイクアウトをやって、しかも。、負ける。負ける。負ける。負ける。
たまに勝ちかけても、粘るから、折り返されてまた負ける。
やり続けていて、「こんな負けることを続けていて、何がプロなんだ。こんなことやっても何の意味もないわ。」そう感じました。
プロが直接手ほどきをということで入隊したものの、やらされるのは、ありきたり、どこまで行ってもありきたり。
しかも、それが勝つのならまだしも、負けるんですから、みんな納得しないですよ。そりゃそうです。
キャンプ料だって、安くないものでしたからね。
正直、何度もやめたくなりました。
キャンプから脱走したかった。
訓練生のかなりの仲間は、最初の1年間ぐらいで脱走していきました。常識では当然かもしれません。
でも、私はしなかった。
何故なら、もうこれを逃したら後が無いと思ったから。
そして、何よりも
負け犬である私の価値観よりも、キャンプを主催している野川軍曹の方が間違いなく正しい!!
と思っていたからです。
私の価値観や考え方など、所詮は負け犬の考えていることなんです。
それよりも、プロが言うことの方が正しいに決っている。
自分の価値観などクソ食らえ、そう思いました。
自分は間違いなく間違っている。何故なら、負け犬だから。
目先の勝ったとか、負けたとか、そんなことはどうでもよい。
だから、残った。
涙目で食い下がっていった。
4年間の訓練期間を終わって、メニューを消化した残り少ない卒業生は、ほぼ全員「勝ち組」に変わっていました。
その中には、10年間負け続けていた私も含まれていました。
たぶん、他の多くの隊員も同じような人たちだったと思います。
ここでまた誤解させるといけないので、予め言っておきますが、勝てるようになったのは、「特別なブレイク」をマスターしたのでもなく、特殊な勝てる方法を見つけたからでもないですからね。
手法にこだわる人は、いつも「どういうブレイクですか」とか、「何が変わったのですか」とか言ってきますから、とにかく、手法が儲けさせてくれる、と思い込んでいるので、やり方を聞かないと納得しないんです。
かんなを使いこなすのに、かんな磨き10年、でやっと一人前
と同じで、やり方など、ただの道具なんです。
道具の使い方は、使いこなしてこそ、ってことに早く気が付くべきで、
道具が儲けさせてくれることはありません。
かんなは、かんな自体が家を建てるわけではなく、大工さんが使いこなしてこそ、使いこなせる腕があってこそ、意味があるんです。
キャンプ生活で、何が自分の中で最も変わったのか、というと、
相場で勝つこととは、勝てる方法を探すことではなく、練習して上手くなることである
という考え方の大転換だったのです。
4年間、野川軍曹から、いやというほど、実戦で強制的に練習させられたわけです。
実弾を投入して、負けて負けて負けて・・・
たったこれだけのこと。
そして、4年間、負け続けた、というより、どれだけ大量に負けたのか、が勝負だった。
負けの数をどれだけこなすのか、ってことに重要な意味があった。
ってことだったのです。
私は、こうして、「キャンプ入隊によって」「強制的に」「誤った考え方から正しいレールに乗せられた」わけです。
ポイントは、ですねえ。実はこれすごくポイントなんですが、
トレードとは練習して上手くなるものだ
ということ。
これを理解するためには、私はプロから教わって、強制的にやらされて、しかも時間が4年間もかかってる、っていう事実なんです。
言葉では、こんなに簡単なことなんです。しかし、理解するのはものすごく難しいし、納得などできようはずがありません。
でも、やり方なんでしょ、ってことです。
この記事読んで頂いた方、5名ぐらいはおられると思いますが、基本この話は「読み捨て」だろうと思います。
「トレードは練習して上手くなるものだ」というたったこれだけの話ですが、本当は理解はできていないと思いますね。
多分、コメントで共感してくださる方がいるとは思いますが、その人たちは「既にこの試練を乗り越えてわかっている人たち」なんです。
コメントありがたいですが、もうわかっている人に書いて頂いているケースがほとんどなんですよ。
それが私にはわかっています。
私も、キャンプの最初にこれを言われても、理解もできなかったし、納得もしなかったと自信を持って言えます。
デロリアンに乗った未来の自分が来て「トレードは練習して上手くなるものだ」と言ったとしても、頑として信じなかったでしょうしね。
4年間、有無を言わさずに強制的に練習させられて、やっと最後に「ああ、こういうことだったのか」と理解できたくらいですからね。
こうやって言葉で簡単に言われたことなど、人間理解できるはずなどないんです。
ただ、この恩は、一生忘れることない恩でしょう。
私は、キャンプによって、一生が変わりました。
自力で更生することは、100%無理だったと思います。
それほど「具体的な勝てる方法探し」という思い込みが強かったですから。
このキャンプ生活が無ければ、今もサラリーマンだったと思います。
相場は続けていたかどうか、わかりませんが、細々とやっては「また今年もトータルでは負けたのか」って感じでしょうかね。
しかしですねえ・・・実は、相場をはじめて、最初に出会った林先生の本には、こういう練習メニューも含めて、全て丁寧に書いてあったのです!!
私は、この驚愕の事実を最初に本を読んだ20年後に知ることになるんです。
この時、私は、もう泣きそうになっていました。
あの全ての努力が、10年間、寝る間も惜しんで努力したことは、全て無駄でしたからね。
最初に読んだ、林先生の本のとおりに、きちんと練習していさえすればよかったのに、それをやりかけた時もあったのに、私は、キラキラしている宝探しに走ってしまったんです。
私は自分自身つくづくアホだと思いましたね。
相場をはじめて1年目に読んだ本に答えが全部あったのに、「具体的やり方にしか目に入らず」それを素通りしている自分に20年後にやっと気がつくあたり。
アホすぎて、呆れるほどにアホです。
いや、本当に、今こうやって書いていて、本当にアホな自分に呆れますね。
情けないわ。ほんとに。
若気の至りって、そんなもんなんでしょうね。
改めて、過去の自分に一番言いたいこと、
お前、ほんまにアホやな!!
真実のこと、読んでて、素通りかよ!!
ほんでもって、ゴミにもならんことに必死こいて、アホすぎ、何度でも言えるけどアホすぎ!!
私のブログは、この「アホすぎ記録」の反省がベースで成立しているんですよね。
「ストイックなアホ大将のアホ記録とその猛反省日誌」という隠れブログ名が正確にこのブログを物語っています(笑)
それからねえ、もう一つ過去の自分に言いたかったこと、
若いんやから、もっと遊んどけ、アホ!!
多分、死ぬとき、もっと遊んで楽しんでおけばよかったとは後悔しても、もっとまじめにしてればよかった、とは絶対に後悔しないと思いますからね。
死ぬとき、こんなに遊びつくして、幸せな人生だった、と思いたい、と今ものすごく思います。
だから、思いっきり遊ぶことにした・・・今頃かよ!!

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