聖杯は存在するのか・・・1
2015/06/23 Tue
いつもコメントいただくザ作蔵さんから次のようなコメントをいただきました。
これについて、私の考えを書いておこうと思います。
手法コレクター、そうではなくて、
聖杯を探しているんですよ。
自分のことなので、よおくわかります。
聖杯がないということが一般的な認識になっていますが、コレクターは、あると思っているんですよ。
もちろん、私もあると思っています。
システム開発はそのためにやっているのですが、
最適化しなくて、未来にも通用する聖杯。
そんなものがあるのか?
根本的な疑いも頭の隅にはあるのですが、
その問いに蓋をして、聖杯探しに奮闘している。
それがコレクターの日々です。
なにも手法をコレクトしているわけではないと思うのですが・・・。
聖杯探しの旅に出ているだけです。
>手法コレクター、そうではなくて、聖杯を探しているんですよ。
これは説明が必要でしたね。説明不足でした。
まさしく、おっしゃるとおりなんです。
事例で説明したとおり、録画マニアは、録画したいわけではなく、いずれ見たい思っているものを「見るために、とりあえず保存しておく」と思ってやっているのです。
本人の気持ちとしては、見るための手段として録画しているに過ぎません。
しかし、結果はどうでしょう。
結果的には、「見ないものをただただ保存だけしている」ということになります。
つまり、結果としては、録画することが手段ではなく、目的化してしまっているのです。
実は、こうした「手段の目的化」ということは、世の中意外と多いんですよ。
では、手法コレクターはどうでしょう。
本人の気持ちとしては、間違いなく、聖杯探し、つまり、お宝探し、トレージャハンティングをしているわけです。
しかし、聖杯が実際に見つかるわけではないので、
結果として、手法をコレクションしている
ということになります。
そもそもは、手法をコレクションしたいわけではありません。
聖杯が見つかるまで、探し続けているから、結果として、どんどん手法が溜まっていくのです。
そうなると、結果的には、手法コレクターとなるわけです。
記事では、思いは「聖杯探し」ですが、結果としては「手法コレクション」になる、ということを言いたかっただけです(笑)
聖杯探し歴10年とか、中には30年とかもベテランハンターもいるわけですから、立派な一分野でしょう。
こういう人たちにとっては、
相場で勝つこと = 聖杯を探すこと
という方程式が出来上がっているので、それ以外のことに頭が向かないのです。
聖杯を探すことは、本来「相場で勝つための手段」であるべきところが、聖杯を探すことが目的化してしまっているのが、特徴です。
思い込みってやつですが、これが結構曲者で、もうそれ以外に目が向かなくなってしまうのです。恐ろしい病です。
誰かが、聖杯を探す以外にも、相場で勝つ道はあるよ、と教えてはくれなかったこと、そして、言われても聞かなかったことで、この年月が経過してしまったのでしょう。
>聖杯がないということが一般的な認識になっていますが
これはどうなんでしょう。
そういうことを書いている本とかは多いですが、実際にはそうでしょうか。
大勢が探しているのだから、一般的にはそうじゃないんじゃないでしょうか。
大勢が探しているからこそ、「そんなの探しても無駄だよ」ということを書いている本がある、ってことじゃないでしょうかね。
勝っている人は、聖杯を見つけ出した人だ
という認識を持っている人は多いと思いますよ。私の経験からしても。
そもそも、私が本音で一番聞かれる質問は次のようなものです。
「どうやったら相場で勝てるか教えてほしい。」
(笑)
この「どうやったら・・」という意味ですが、「どういうやり方をしたら」ということなので、つまりは、「どういう手法を使えば相場で勝てるようになりますか」という意味になります。
つまりは、「勝てる人は勝てる手法を持っているから勝てるのだ理論」つまり、「手法万能論」であり、すなわち「聖杯伝説」ということになります。
しかも、この意味には、「どういうことを知れば、努力せずに簡単に相場で勝てるようになりますか」という意味も含まれています。
意識するにせよ、無意識にせよ、「やり方が勝たせてくれているのだ」という理屈が前提にある質問です。
でも、この「どうやったら」という質問、ご自分のお仕事に当てはめてほしいのです。
ラーメン屋の繁盛店に行って「どうやったらラーメン屋で成功できますか」
プロ野球選手に「どうやったらプロ野球選手になれますか」
会社の重役の人に「どうやったら重役になれますか」
という質問です。
この意味は、「何を知れば、努力することなしに、簡単に、あなたのようになれますか」という意味を持っています。
ラーメン屋開業マニュアルを読めば、繁盛店が努力なしに出せる、という意味です。
実は、苦労に苦労を重ねてきた人に対して、こんなに相手を侮辱した質問はなかなか見つからないと思いますね。
じゃあ、翻って、聖杯はこの世には存在しないのか。
そもそも、聖杯とは何か、ってことですよね。
機械的にトレードする「システム売買」は、聖杯ではないのか。
そういう売買は実際にあって利益を出している人もいるのだから、もし、それが聖杯ならば、聖杯は存在するのではないか。
そういう、自動売買を知りたいだけなのだ。
パソコンが自動的に売り買いを教えてくれて、その指示どおりにやって勝てるのだったら、それを知りたいだけなのだ。
そういう自動売買でなくても、「こうなれば」という売り買いのポイントがわかって、そのとおりにやれば儲かるような「やり方」が知りたいだけなのだ。
そういうことが「どうやったら勝てるのか」という意味だとしたら、どうなのでしょう。
このあたりのことがみんな一番知りたいことなのかなあ、とも「ヒシヒシと」感じますよね(笑)
ちょっと考えをまとめたいので、次回ということで。

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これについて、私の考えを書いておこうと思います。
手法コレクター、そうではなくて、
聖杯を探しているんですよ。
自分のことなので、よおくわかります。
聖杯がないということが一般的な認識になっていますが、コレクターは、あると思っているんですよ。
もちろん、私もあると思っています。
システム開発はそのためにやっているのですが、
最適化しなくて、未来にも通用する聖杯。
そんなものがあるのか?
根本的な疑いも頭の隅にはあるのですが、
その問いに蓋をして、聖杯探しに奮闘している。
それがコレクターの日々です。
なにも手法をコレクトしているわけではないと思うのですが・・・。
聖杯探しの旅に出ているだけです。
>手法コレクター、そうではなくて、聖杯を探しているんですよ。
これは説明が必要でしたね。説明不足でした。
まさしく、おっしゃるとおりなんです。
事例で説明したとおり、録画マニアは、録画したいわけではなく、いずれ見たい思っているものを「見るために、とりあえず保存しておく」と思ってやっているのです。
本人の気持ちとしては、見るための手段として録画しているに過ぎません。
しかし、結果はどうでしょう。
結果的には、「見ないものをただただ保存だけしている」ということになります。
つまり、結果としては、録画することが手段ではなく、目的化してしまっているのです。
実は、こうした「手段の目的化」ということは、世の中意外と多いんですよ。
では、手法コレクターはどうでしょう。
本人の気持ちとしては、間違いなく、聖杯探し、つまり、お宝探し、トレージャハンティングをしているわけです。
しかし、聖杯が実際に見つかるわけではないので、
結果として、手法をコレクションしている
ということになります。
そもそもは、手法をコレクションしたいわけではありません。
聖杯が見つかるまで、探し続けているから、結果として、どんどん手法が溜まっていくのです。
そうなると、結果的には、手法コレクターとなるわけです。
記事では、思いは「聖杯探し」ですが、結果としては「手法コレクション」になる、ということを言いたかっただけです(笑)
聖杯探し歴10年とか、中には30年とかもベテランハンターもいるわけですから、立派な一分野でしょう。
こういう人たちにとっては、
相場で勝つこと = 聖杯を探すこと
という方程式が出来上がっているので、それ以外のことに頭が向かないのです。
聖杯を探すことは、本来「相場で勝つための手段」であるべきところが、聖杯を探すことが目的化してしまっているのが、特徴です。
思い込みってやつですが、これが結構曲者で、もうそれ以外に目が向かなくなってしまうのです。恐ろしい病です。
誰かが、聖杯を探す以外にも、相場で勝つ道はあるよ、と教えてはくれなかったこと、そして、言われても聞かなかったことで、この年月が経過してしまったのでしょう。
>聖杯がないということが一般的な認識になっていますが
これはどうなんでしょう。
そういうことを書いている本とかは多いですが、実際にはそうでしょうか。
大勢が探しているのだから、一般的にはそうじゃないんじゃないでしょうか。
大勢が探しているからこそ、「そんなの探しても無駄だよ」ということを書いている本がある、ってことじゃないでしょうかね。
勝っている人は、聖杯を見つけ出した人だ
という認識を持っている人は多いと思いますよ。私の経験からしても。
そもそも、私が本音で一番聞かれる質問は次のようなものです。
「どうやったら相場で勝てるか教えてほしい。」
(笑)
この「どうやったら・・」という意味ですが、「どういうやり方をしたら」ということなので、つまりは、「どういう手法を使えば相場で勝てるようになりますか」という意味になります。
つまりは、「勝てる人は勝てる手法を持っているから勝てるのだ理論」つまり、「手法万能論」であり、すなわち「聖杯伝説」ということになります。
しかも、この意味には、「どういうことを知れば、努力せずに簡単に相場で勝てるようになりますか」という意味も含まれています。
意識するにせよ、無意識にせよ、「やり方が勝たせてくれているのだ」という理屈が前提にある質問です。
でも、この「どうやったら」という質問、ご自分のお仕事に当てはめてほしいのです。
ラーメン屋の繁盛店に行って「どうやったらラーメン屋で成功できますか」
プロ野球選手に「どうやったらプロ野球選手になれますか」
会社の重役の人に「どうやったら重役になれますか」
という質問です。
この意味は、「何を知れば、努力することなしに、簡単に、あなたのようになれますか」という意味を持っています。
ラーメン屋開業マニュアルを読めば、繁盛店が努力なしに出せる、という意味です。
実は、苦労に苦労を重ねてきた人に対して、こんなに相手を侮辱した質問はなかなか見つからないと思いますね。
じゃあ、翻って、聖杯はこの世には存在しないのか。
そもそも、聖杯とは何か、ってことですよね。
機械的にトレードする「システム売買」は、聖杯ではないのか。
そういう売買は実際にあって利益を出している人もいるのだから、もし、それが聖杯ならば、聖杯は存在するのではないか。
そういう、自動売買を知りたいだけなのだ。
パソコンが自動的に売り買いを教えてくれて、その指示どおりにやって勝てるのだったら、それを知りたいだけなのだ。
そういう自動売買でなくても、「こうなれば」という売り買いのポイントがわかって、そのとおりにやれば儲かるような「やり方」が知りたいだけなのだ。
そういうことが「どうやったら勝てるのか」という意味だとしたら、どうなのでしょう。
このあたりのことがみんな一番知りたいことなのかなあ、とも「ヒシヒシと」感じますよね(笑)
ちょっと考えをまとめたいので、次回ということで。

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