繰り返される吐き出しのメカニズム
2017/09/10 Sun
せっかく勝っていたのに、勝ち逃げすることができず、結局、全部吐き出してしまう。
こういうことが頻繁に起きるのが相場です。
しかも、繰り返し繰り返しやってしまう。
次こそは、と思っていても、またしてもやってしまっている。
何度でも何度でもやる。反省を忘れたのか。どうなのか。
負け逃げも難しいわけですが、勝ち逃げもかなり難しいのが相場です。
では、何故、こういうことが起きるのか。
どうして、負け戦を拡大するような真似をするのか。
この
繰り返される吐き出しのメカニズム
とは、どういうことなのか、これが今回のテーマです。
まず、これがどのように起きるのかを考察します。
ある特定のやり方で勝つと、味をしめる、このやり方で勝てるとなる。
勝った理由はやり方にあると思い込む。
自分はこれで勝てるとなる。
勝ちが続けば、確認を続けることになり、その思いは確信に変わる。
意識的にも無意識的にもどちらでもそうなる。
そこで環境が変わる。
途端に勝てなくなるが、本人は勝てる方法だからと思いこんでいるので、どれだけ負けても続けてしまう。
結果、負けをどんどん拡大して、吐き出す。
となるわけです。
そもそも相場で勝てる要因、つまりどうすれば勝てるのか、というのは切実な悩みなわけですが、多くの場合、どうすれば、というのはやり方、つまり、勝てる方法を知る、という手法万能論が自然な流れとして出てきます。
手法じゃない、と言われても、やり方がわからなかったら、そもそもどうしようもないじゃないか。本音ではやはり納得できない。
自己規律とかマネーマネジメントとか、大事だと言われても、いまいちピンと来ない。とにかくまずはやり方を知らないと始まらないんじゃないか。
そう思っている人は多いと思います。
最初、まずはどうやって、というのが当たり前としてあるわけです。
連れて、優位性、という場合も、暗黙の了解で、優位性のあるやり方、という理解になります。
例えば、検証しろ、という人も多いわけですが、検証してそれで勝てるのなら実戦だ、みたいな考え方です。
検証万能論も、突き詰めれば、やり方に依存していることにおいては、手法万能論なんです。
ところが、実際には、特定のやり方が通用するのは、多くの場合、ある特定下の環境において、という限定付きなのです。
いくら検証したところで、ほとんどの場合、その検証期間の環境にアジャストさせた結果になる、のがオチなんです。
環境は変わる
この事実が、手法万能論者には見えていません。
つまり、勝った原因がやり方にある、と思い込むことで、爆死の原因を作るわけです。
もちろん、オールウエザー(全天候型)というものも無いわけではありませんが、レアモノだと考えた方がいいです。
ある特定の環境があって、その特定の環境下でこそ優位性が認められるというのが、ほとんどの手法だ、という厳しい現実があることは、相当経験を積めばわかることなのですが、その段階まで生き延びられる投資家は少数にとどまります。
これは、何度も何度も爆死して、相当の経験を積まないと、理解納得はできないことだと思います。
これを読んでいる多くのみなさんも理屈では理解できても、納得はしていない、と思って書いています。
ここを理解するためにも、1000本ノックは大切なんです。
ノックの中で、爆死経験を繰り返し、どうして昨日まで通用していたことが、突然効かなくなったのか、という不可思議(笑)な経験を何度も何度も繰り返し、手痛い損失を出してこそ見えてくる世界だと思うのです。
株式市場においては、リーマンショック前と後とでは、ガラリと環境が変わりました。
リーマン前には、少々甘いトレードをやっていても勝てたものが、一切通じなくなりました。
リーマン前には緑の草原でしたが、それ以降は正に荒野が待っていました。
何故だかは未だに不明ですが、甘いトレードをしていた負け組が一斉に淘汰されたことが原因だろうか、と思っています。
最終的には、
自分にとって、勝ちやすい環境とは何か、それを探す、といった方が、やり方を探すよりも先にあるべき
ということが見えてきます。
そして、自分の懐に特定の環境を置いて、その特定の環境の中でのみ釣りを楽しむ
といった感覚に落ち着いてきます。
極端には、環境さえ手に入れてしまえば、8割方相場で勝てる準備は終わりなんです。
じゃあ、具体的には、どういうことを環境と言っているのか、というと、
ミクロレベルでは、低位の往来株であるとか、年間を通じてうねりを見せる株、高いボラの新興株、吹き上がっている株、とか、それぞれ特定の環境があって、その特定の環境でこそ見せる特定の値動きを観察するわけです。
マクロレベルでは、アベノミクス初期の吹き上げる環境、高値の往来、じり高、じり安、急落、安値の往来、など、相場全体に資金が入ってきているのか、出ているのか、というリスクオン、リスクオフの流れがあります。
リスクオンの上げ相場の中でも、循環物色があって、大型株から、中小型へ資金がシフトする流れ。
また、リスクオフのなって、一気に資金が逃げ出す流れ。
などなど、各国の金融政策によって、今は世界中の動きが連動しています。
こういうめまぐるしい動きがありますが、低位の往来株というのは、比較的安定した値動きを続けるのですが、それでも永遠ではありません。
これは、当面は続くがいつまでもは続かないインバウンドを当て込んだ家電量販店、のようなものです。
一方で、新興の人気株の命は短い。陽炎やセミのような寿命です。
これは、一発屋芸人ってところです。
ここ一年近く、小型株のいい動きが続いていますが、上げがきつければ、下げも厳しいものとなるのは、相場の習いで、これも永遠には続きません。
これは、かき入れ時の海の家って感じですね。
小型株相場がしばらく続くと、ちょっといい目にあった投資家の群れが、お盆時のクラゲのように大量発生します。
そうなれば、もう夏も終わりで、海水浴シーズンは終盤でしょう。
そんな中で、永遠に小型株に執着しているのは、冬の海で海の家を経営するようなものです。
こうした特定の環境は、永遠には続かないにしても、今は続いている。
じゃあ、その特定の環境における、特定の値動きをどうやって取るか、という発想に行き着くわけです。
相場が正しいのだから、まずは、特定の値動きがあって、その値動きをどうやって取るか、という段階でやっと道具、つまりやり方の出番になります。
その方法というのは、何も既存の道具でなくてよく、今ある値動きに対して、一番最適なものは何か、という考え方をするわけです。
そうなると、特定のやり方にこだわりなど無くなります。
やり方というのは、値動きが先にあって、その値動きをどうやって取るのか、というための単なる道具に過ぎないからです。
この値動きをどうやって取ってやろうか、という発想になるわけです。
一方通行の動きが続く相場であれば、ブレイクでもプルバックでも、極端には飛びつきでも、何でもいいわけです。
何でも飛びついて、持ち越せば儲かる、という相場は時々やってきます。
いよいよ阿波踊りのシーズン到来です。
ブレイクというやり方が勝たせてくれるわけではなく、一方通行の祭りが起きている、ということこそ勝ちの要因なんです。
エッジは、環境にこそあるのです。
やり方など何でもよい、というのは、こういうことを言います。
阿波踊りというは、阿波踊りシーズンだから踊ってもいいのであって、それを職場ででやるとか、普段の町中でやれば、ただの変人、場合によっては警察のお世話になります(笑)
結婚式なら礼服、海では水着、夏ならTシャツ、冬はダウン、と全て、
環境依存
です。
前に、自分に合ったやり方というのが何かわかりません、というコメントがありましたが、私には、シーズンを無視して、Tシャツがいいですか、ダウンがいいですか、という質問に見えました。
何を着るか、の前に、今は夏ですか、冬ですか、というシーズンがあるのです。
そして、自分の好きなシーズンがどちらなのか、ぐらいは自分でわからないと仕方がないのですね。
こういう環境に対する理解をしっかり持っていれば、そもそも環境に依存している、と理解しているのだから、シーズン終了かどうかは、一番敏感にわかっている、ということになるわけです。
翌朝になって、新聞やゴミが散乱して、人が誰もいない桟敷で、一人踊り続けている、そんなナンセンスなことを続けているのが多くの投資家の姿なのですね。
しかし、以上の手法万能論だけでは、大きな吐き出しに繋がることはありません。
むしろ問題なのは、もう一つの重要な吐き出しのメカニズムがあるからなんです。
それは、
儲けに奢って、お調子に乗ってしまう
ということです。
つまり、規律とマネーマネジメントに問題が起きてしまうわけです。
環境優位性のおかげだと認識していれば、ある程度続けば終わりが近づいていることぐらいわかります。
しかし、そうでない大半の人は、儲けが続く中で、知らず知らずお調子に乗ってしまうのです。
この
知らず知らずにリスク許容度が拡大する
ことが実に恐ろしいのです。
お調子に乗る、というのは、具体的には、
扇形の布陣を取ってしまう
ということです。
どういうことかというと、
みんなやってしまうのは、儲かるにつれて、無意識に気が大きくなって、気がつけばどんどんポジを増やしていって、最後に大軍でドボンする、ということです。
この扇形の布陣を取らないだけでも、生存確率は飛躍的に高まります。
扇形の布陣を敷けば、10上げて1下げただけでドボンします。
多くの人は、10上げて2下げれば破綻でしょう。
10上げて1下げれば、7ぐらいは残るように布陣すればいいんです。
(この10上げてというのは、半年かとか1年間でということで、その間に売り買いを繰り返して、儲けが出てくると、次第に全体のポジが大きくなる、という現象を書いてます。)
それを調子に乗って、踊る阿呆に見る阿呆をやってしまうから、ドボンを食らうのです。
儲けというのはものすごく恐ろしいものです。
人の心を蝕み、狂わせます。
結果、利益に酔いつぶれてしまって、自分を完全に見失うのです。
私は、長年この世界で行きてきて、大勢の投資家を見てきましたが、
儲けに酔っている人の目は明らかにおかしい
のですよ。
頭がどうにかなってしまって、誰の助言も聞き入れようとはしません。
自分では、正常な感覚だと思っていますが、ネジが完全にぶっ飛んでしまっているのです。
世界を取ったような気になっていて、目が完全に空を飛んでいる人を大勢見てきました。
しかも、本人は、自分は正常だ、と思っているから、そもそも危険きわまりない。
つまり無自覚ほど恐ろしいことは無いわけです。
こうして、
利益に酔って前後不覚の酩酊状態になったところを容赦ない相場の洗礼が襲いかかります。
これは、ダムの決壊のようなもので、ひとたまりもなく流されてしまって、後は何も残らない、ということが繰り返されるのです。
自分の器を超えた利益を手にした時、人は、酔いつぶれてしまって、結果自爆するです。
この器というもの・・・簡単なものではないです。
繰り返し事故を起こすことでしか、器も大きくならない。
実に厄介な話だと思います。
ここで出てくるのが、
自己規律とマネーマネジメント。
セミナーでは、みんなが寝ているところです(笑)
これが自分の最後の砦として効いてくれるかどうか。
これがサバイバルの最後のセーフティネットとなります。
だからこそ、規律とマネーマネジメントは重要、と言われるわけなんですね。
普段の状態では、セーフティネットなど、どうでもよいと思ってしまいますが、これは最後の砦であり、保険なんです。
自己規律とか、マネーマネジメントとか、言われても、相場経験が浅い人は、よくわからないと思います。
事故を起こさない限り、保険の重要性などわからないのだ
ってことなんです。
この重要性は、相場で長年生き残ってきた人は、みんな知っていることです。知らないのは、経験が無いからだけなんです。
残念ながら、こういうことも、何度も事故を起こして、やって気がつくものなんだと思います。

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こういうことが頻繁に起きるのが相場です。
しかも、繰り返し繰り返しやってしまう。
次こそは、と思っていても、またしてもやってしまっている。
何度でも何度でもやる。反省を忘れたのか。どうなのか。
負け逃げも難しいわけですが、勝ち逃げもかなり難しいのが相場です。
では、何故、こういうことが起きるのか。
どうして、負け戦を拡大するような真似をするのか。
この
繰り返される吐き出しのメカニズム
とは、どういうことなのか、これが今回のテーマです。
まず、これがどのように起きるのかを考察します。
ある特定のやり方で勝つと、味をしめる、このやり方で勝てるとなる。
勝った理由はやり方にあると思い込む。
自分はこれで勝てるとなる。
勝ちが続けば、確認を続けることになり、その思いは確信に変わる。
意識的にも無意識的にもどちらでもそうなる。
そこで環境が変わる。
途端に勝てなくなるが、本人は勝てる方法だからと思いこんでいるので、どれだけ負けても続けてしまう。
結果、負けをどんどん拡大して、吐き出す。
となるわけです。
そもそも相場で勝てる要因、つまりどうすれば勝てるのか、というのは切実な悩みなわけですが、多くの場合、どうすれば、というのはやり方、つまり、勝てる方法を知る、という手法万能論が自然な流れとして出てきます。
手法じゃない、と言われても、やり方がわからなかったら、そもそもどうしようもないじゃないか。本音ではやはり納得できない。
自己規律とかマネーマネジメントとか、大事だと言われても、いまいちピンと来ない。とにかくまずはやり方を知らないと始まらないんじゃないか。
そう思っている人は多いと思います。
最初、まずはどうやって、というのが当たり前としてあるわけです。
連れて、優位性、という場合も、暗黙の了解で、優位性のあるやり方、という理解になります。
例えば、検証しろ、という人も多いわけですが、検証してそれで勝てるのなら実戦だ、みたいな考え方です。
検証万能論も、突き詰めれば、やり方に依存していることにおいては、手法万能論なんです。
ところが、実際には、特定のやり方が通用するのは、多くの場合、ある特定下の環境において、という限定付きなのです。
いくら検証したところで、ほとんどの場合、その検証期間の環境にアジャストさせた結果になる、のがオチなんです。
環境は変わる
この事実が、手法万能論者には見えていません。
つまり、勝った原因がやり方にある、と思い込むことで、爆死の原因を作るわけです。
もちろん、オールウエザー(全天候型)というものも無いわけではありませんが、レアモノだと考えた方がいいです。
ある特定の環境があって、その特定の環境下でこそ優位性が認められるというのが、ほとんどの手法だ、という厳しい現実があることは、相当経験を積めばわかることなのですが、その段階まで生き延びられる投資家は少数にとどまります。
これは、何度も何度も爆死して、相当の経験を積まないと、理解納得はできないことだと思います。
これを読んでいる多くのみなさんも理屈では理解できても、納得はしていない、と思って書いています。
ここを理解するためにも、1000本ノックは大切なんです。
ノックの中で、爆死経験を繰り返し、どうして昨日まで通用していたことが、突然効かなくなったのか、という不可思議(笑)な経験を何度も何度も繰り返し、手痛い損失を出してこそ見えてくる世界だと思うのです。
株式市場においては、リーマンショック前と後とでは、ガラリと環境が変わりました。
リーマン前には、少々甘いトレードをやっていても勝てたものが、一切通じなくなりました。
リーマン前には緑の草原でしたが、それ以降は正に荒野が待っていました。
何故だかは未だに不明ですが、甘いトレードをしていた負け組が一斉に淘汰されたことが原因だろうか、と思っています。
最終的には、
自分にとって、勝ちやすい環境とは何か、それを探す、といった方が、やり方を探すよりも先にあるべき
ということが見えてきます。
そして、自分の懐に特定の環境を置いて、その特定の環境の中でのみ釣りを楽しむ
といった感覚に落ち着いてきます。
極端には、環境さえ手に入れてしまえば、8割方相場で勝てる準備は終わりなんです。
じゃあ、具体的には、どういうことを環境と言っているのか、というと、
ミクロレベルでは、低位の往来株であるとか、年間を通じてうねりを見せる株、高いボラの新興株、吹き上がっている株、とか、それぞれ特定の環境があって、その特定の環境でこそ見せる特定の値動きを観察するわけです。
マクロレベルでは、アベノミクス初期の吹き上げる環境、高値の往来、じり高、じり安、急落、安値の往来、など、相場全体に資金が入ってきているのか、出ているのか、というリスクオン、リスクオフの流れがあります。
リスクオンの上げ相場の中でも、循環物色があって、大型株から、中小型へ資金がシフトする流れ。
また、リスクオフのなって、一気に資金が逃げ出す流れ。
などなど、各国の金融政策によって、今は世界中の動きが連動しています。
こういうめまぐるしい動きがありますが、低位の往来株というのは、比較的安定した値動きを続けるのですが、それでも永遠ではありません。
これは、当面は続くがいつまでもは続かないインバウンドを当て込んだ家電量販店、のようなものです。
一方で、新興の人気株の命は短い。陽炎やセミのような寿命です。
これは、一発屋芸人ってところです。
ここ一年近く、小型株のいい動きが続いていますが、上げがきつければ、下げも厳しいものとなるのは、相場の習いで、これも永遠には続きません。
これは、かき入れ時の海の家って感じですね。
小型株相場がしばらく続くと、ちょっといい目にあった投資家の群れが、お盆時のクラゲのように大量発生します。
そうなれば、もう夏も終わりで、海水浴シーズンは終盤でしょう。
そんな中で、永遠に小型株に執着しているのは、冬の海で海の家を経営するようなものです。
こうした特定の環境は、永遠には続かないにしても、今は続いている。
じゃあ、その特定の環境における、特定の値動きをどうやって取るか、という発想に行き着くわけです。
相場が正しいのだから、まずは、特定の値動きがあって、その値動きをどうやって取るか、という段階でやっと道具、つまりやり方の出番になります。
その方法というのは、何も既存の道具でなくてよく、今ある値動きに対して、一番最適なものは何か、という考え方をするわけです。
そうなると、特定のやり方にこだわりなど無くなります。
やり方というのは、値動きが先にあって、その値動きをどうやって取るのか、というための単なる道具に過ぎないからです。
この値動きをどうやって取ってやろうか、という発想になるわけです。
一方通行の動きが続く相場であれば、ブレイクでもプルバックでも、極端には飛びつきでも、何でもいいわけです。
何でも飛びついて、持ち越せば儲かる、という相場は時々やってきます。
いよいよ阿波踊りのシーズン到来です。
ブレイクというやり方が勝たせてくれるわけではなく、一方通行の祭りが起きている、ということこそ勝ちの要因なんです。
エッジは、環境にこそあるのです。
やり方など何でもよい、というのは、こういうことを言います。
阿波踊りというは、阿波踊りシーズンだから踊ってもいいのであって、それを職場ででやるとか、普段の町中でやれば、ただの変人、場合によっては警察のお世話になります(笑)
結婚式なら礼服、海では水着、夏ならTシャツ、冬はダウン、と全て、
環境依存
です。
前に、自分に合ったやり方というのが何かわかりません、というコメントがありましたが、私には、シーズンを無視して、Tシャツがいいですか、ダウンがいいですか、という質問に見えました。
何を着るか、の前に、今は夏ですか、冬ですか、というシーズンがあるのです。
そして、自分の好きなシーズンがどちらなのか、ぐらいは自分でわからないと仕方がないのですね。
こういう環境に対する理解をしっかり持っていれば、そもそも環境に依存している、と理解しているのだから、シーズン終了かどうかは、一番敏感にわかっている、ということになるわけです。
翌朝になって、新聞やゴミが散乱して、人が誰もいない桟敷で、一人踊り続けている、そんなナンセンスなことを続けているのが多くの投資家の姿なのですね。
しかし、以上の手法万能論だけでは、大きな吐き出しに繋がることはありません。
むしろ問題なのは、もう一つの重要な吐き出しのメカニズムがあるからなんです。
それは、
儲けに奢って、お調子に乗ってしまう
ということです。
つまり、規律とマネーマネジメントに問題が起きてしまうわけです。
環境優位性のおかげだと認識していれば、ある程度続けば終わりが近づいていることぐらいわかります。
しかし、そうでない大半の人は、儲けが続く中で、知らず知らずお調子に乗ってしまうのです。
この
知らず知らずにリスク許容度が拡大する
ことが実に恐ろしいのです。
お調子に乗る、というのは、具体的には、
扇形の布陣を取ってしまう
ということです。
どういうことかというと、
みんなやってしまうのは、儲かるにつれて、無意識に気が大きくなって、気がつけばどんどんポジを増やしていって、最後に大軍でドボンする、ということです。
この扇形の布陣を取らないだけでも、生存確率は飛躍的に高まります。
扇形の布陣を敷けば、10上げて1下げただけでドボンします。
多くの人は、10上げて2下げれば破綻でしょう。
10上げて1下げれば、7ぐらいは残るように布陣すればいいんです。
(この10上げてというのは、半年かとか1年間でということで、その間に売り買いを繰り返して、儲けが出てくると、次第に全体のポジが大きくなる、という現象を書いてます。)
それを調子に乗って、踊る阿呆に見る阿呆をやってしまうから、ドボンを食らうのです。
儲けというのはものすごく恐ろしいものです。
人の心を蝕み、狂わせます。
結果、利益に酔いつぶれてしまって、自分を完全に見失うのです。
私は、長年この世界で行きてきて、大勢の投資家を見てきましたが、
儲けに酔っている人の目は明らかにおかしい
のですよ。
頭がどうにかなってしまって、誰の助言も聞き入れようとはしません。
自分では、正常な感覚だと思っていますが、ネジが完全にぶっ飛んでしまっているのです。
世界を取ったような気になっていて、目が完全に空を飛んでいる人を大勢見てきました。
しかも、本人は、自分は正常だ、と思っているから、そもそも危険きわまりない。
つまり無自覚ほど恐ろしいことは無いわけです。
こうして、
利益に酔って前後不覚の酩酊状態になったところを容赦ない相場の洗礼が襲いかかります。
これは、ダムの決壊のようなもので、ひとたまりもなく流されてしまって、後は何も残らない、ということが繰り返されるのです。
自分の器を超えた利益を手にした時、人は、酔いつぶれてしまって、結果自爆するです。
この器というもの・・・簡単なものではないです。
繰り返し事故を起こすことでしか、器も大きくならない。
実に厄介な話だと思います。
ここで出てくるのが、
自己規律とマネーマネジメント。
セミナーでは、みんなが寝ているところです(笑)
これが自分の最後の砦として効いてくれるかどうか。
これがサバイバルの最後のセーフティネットとなります。
だからこそ、規律とマネーマネジメントは重要、と言われるわけなんですね。
普段の状態では、セーフティネットなど、どうでもよいと思ってしまいますが、これは最後の砦であり、保険なんです。
自己規律とか、マネーマネジメントとか、言われても、相場経験が浅い人は、よくわからないと思います。
事故を起こさない限り、保険の重要性などわからないのだ
ってことなんです。
この重要性は、相場で長年生き残ってきた人は、みんな知っていることです。知らないのは、経験が無いからだけなんです。
残念ながら、こういうことも、何度も事故を起こして、やって気がつくものなんだと思います。

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