当て屋からの脱皮 第一巻
2020/12/13 Sun
お久しぶり過ぎて忘れられているかものブログです。お久ぶりのブリの照り焼きが真っ黒焦げ。。
さて、先日、友人と話をしている時に、次のように言われました。
「あらなみさんは、3月頃に僕にある人の弱気のレポートを紹介されましたが、あらなみさん自身弱気だったのではないですか。」
「今、こうして高値に来ていますが、こうなることを予想されていましたか。」
というものでした。
私は、
「3月には弱気でしたし、当然3月の時点で、12月に高値が来るなど予想もしていませんでした。」
と答えました。
すると、彼は、どうも私が開き直っていると感じたらしいのです。
予想を外しておいて、いけしゃあしゃあと何言ってんだ、っていう思いだったのでしょう。
彼は、何も言いませんでしたが、どうやら、3月に弱気になって、売りから入って、かなりの損失を出したようなのです。
だから、腹が立ったのでしょう。
彼は、盛んに、
「プロの意見というものは、自分らにとっては、ものすごく参考にするものなのです。」
と言ってました。
私は、しまったっと心の中で思いました。
彼にとっては、当たるか外れるかは、何よりも重要なことだったのです。
私は全然気がついていませんでした。うかつでした。。
私としては、3月に、弱気を書いているとあるレポートを紹介しただけだったのですが、彼は、それを読んで、私自身が強い弱気になって、相場がまだまだ下げるのだと言っている、と理解したのです。
私は、この時思いました。
どんな時であっても、相場観を人に示したり、述べてはいけない。
立場上、相場が急変すると、よく相場観を聞かれたり、意見を求められます。
私自身、相場観は持っていますから、素直に答えるのですが、私自身は、自分の相場観に縛られることはありませんが、相手は縛られるんです。そのことに気がつくべきでした。
安易に相場観を話してはいけない立場だったのです。
相手が、専業やプロの投資家であるのなら、どんな相場観を交換したところで、そもそも他人の相場観に振り回されることなどありません。
しかも、その相場観を仮に持ったとしても、相場の値動きに従うのだから、いくら弱気であっても、売ったままで我慢することなどあり得ません。
しかし、相手が初心者やベテランであっても専業レベルに無い人は、やはり相場観に振り回されて、逆行されれば爆死する、ということが大いにあり得るわけです。
相場で勝てない人が思うことは、
相場を当てないといけない。
相場を予想して当てないと勝てない。
だから、相場観というものは非常に大事だ。
相場で勝っている人は、相場観が優れていて、当たっているから勝っているのだ。
大儲けしている人は、天才的な相場観で、次々に相場を当てているのだ。
という強い思いです。
しかし、考えてみてください。
昨年の12月頃に、今年がコロナに席巻されてしまうことになると予想できた人がどれほどいたのか。
2月頃に、コロナの毒性について正確に知り得た人がどれほどいたのか。
FRB、ECB、日銀など世界中の中央銀行がばら撒きを始めることを予想できた人がどれほどいたのか。
こういうことが予想できてこそ、相場の値動きが読めるのです。
こんなことが読めることなど、プロであろうが、アマチュアであろうが、エコノミストであろうが、アナリストであろうが、ジョージ・ソロスであろうが、誰もいません。
みんな同じ立場でしかありません。
つまり、予想や相場観など、プロでも、何一つ当てになどならないってことなんです。
繰り返しますが、開き直っているわけではありません。念の為 汗
タートル本からの引用です。
ある一流の商品投資顧問業者による最近の書評で、
「新入りのトレーダーがトレードの問題を考えるとき、成功するためには、まず初めにマーケットの行方を予測することを学ばなくてはならない。少し研究してみれば、長期の予測をするためにはファンダメンタルズ分析を使い、短期の予測をするためにはテクニカル分析を使うべきだということが分かるだろう。」
これに対して、このタートルズは、次のように述べています。
「何も真実から遠ざかっては存在し得ないように、これは危険な誤解である。」
何故このようにタートルズが言ったのかというと、予想をベースになどしても相場では勝てないという意味なんです。
繰り返しますが、ほとんどの人は、
相場の予想が当たること = 相場で勝つこと
だと思っています。
だから、ファンダメンタル、テクニカルを研究し、如何にすれば相場を当てることができるのかを日々研究しています。
つまりは、
当て屋道
です。
相場道とは、当てることと見つけたり
という強い相場哲学を持って、ひたすらに歩んでいるのが大勢の投資家の姿です。
この当て屋道という強い強い相場哲学は、簡単に剥がすことはできません。
基本的考え方、哲学というものは、本人が無意識に持っている根源的なもので、改宗するには、よほどの出来事や衝撃的事実が見えなければ変えることは不可能なものなのです。
例えば、
イスラム教からキリスト教に宗旨変えする。
共産主義から、資本主義に変更する。
というぐらいに困難なことで、ほぼ不可能と言っても言い過ぎではありません。
さて、何故こんなことをくどくどと書いているのかというと、開き直りのためではありません 汗
ここのところの考え方を直さないと、一歩も前に進めないからです。
今回の話は、このブログを書いている根本的な趣旨でもあるからなんです。
私のブログの趣旨は、そもそも脱皮啓蒙ブログなんです。
私は、多くの投資家が、相場を当てよう当てようともがき苦しみながらも、永遠に相場が当たらなくて、行ったり来たりを繰り返している姿をずっと見てきました。
この道、数十年のベテランの当て屋さんも大勢知っています。
彼らは、みんな負けています。
これ大事ですよ。当て屋で何十年相場をやっていても、ひとり残らず負けています。
そして、どこかで当て屋として勝てなかった投資家人生を終えるのです。
それでも、どこかに当てる方法があるはずだ、どこかに青い鳥がいるはずだ、と考えて、死ぬまで相場を当てる研究を続けている人も大勢おられます。
とにかく、細いやり方、手法、予想、に執念を持ってこだわり続けます。
何十年と経験していても、当たる確率など、初心者と大して変わらない。
いや、色々と知っているからこそ、迷いが生じてもっと勝率が低くなるぐらいです。
相場の予想において、みなさんは、予想のプロであるアナリストやストラテジストに勝てますか。
プロのアナリストでさえ全然当たらないことを知っていますか。
相場を当てれば勝てる。
この論理は正しいです。
だから、大勢の人がこの論理にはまってしまっています。
ただし、相場は当たらないのです。
論理は正しくても、この「相場を当てれば」というそもそもの前提が間違っているんです。
これは、競馬において、勝つ馬を当てれば勝てる、という理屈と何も変わりません。
そう言えば、ある人から言われたことがあります。
「当たるかどうかではない。当てないと勝てないのだ。」
と。
つまりは、当てること以外は、相場で勝てる方法がそもそも存在しないのだ、という強い思い込みです。
こう思い込んでいる人もすごく多いと思います。
そもそも、当て屋の人は、自分が当て屋だと認識などしていない。
当て屋だと認識していないほどに自然なこと、相場をやる限り当てることは当然のことだと信じて疑わない哲学を持っているのです。
そうなれば、どうしたら勝てるようになるのだろうと考えた時、とにかく当てないといけない。当てるためにはどうすればいいのかを考える、という方向にしか目が行かなくなって、他のことは何も見えなくなってしまうのです。
相場の研究の全ては、当てるために向けられる。
結果として、勉強や研究の目的が相場を当てることになってしまう、という手段の目的への転化が起きてしまうのです。
こうして、
相場の勉強 = 如何にして当てるかの研究
になっている人が大量発生するわけです。
林本にも同じことが書いてありますが、専業サイドから、一般の投資家を見る時に、
「あの人はどうですか。」
「あぁ、あの人は当て屋ですよ。」
「そうですか。では、何を言っても無駄ですね。」
というやり取りが行われます。
その人が勝てるか勝てないかは、ちょっと話をすれば、すぐにわかります。
何故わかるのかというと、その人が当て屋かどうかがわかればいいだけだからです。
本人は、真剣に相場を勉強し、勝てるように懸命に努力をしていると思っているのですが、所詮は、勝てない当て屋レベルの範囲だということが、見る人から見ればわかるんです。
だからといって、いくら「そっちは間違ってますよ」と言っても、全く聞いてはもらえません。
というより、逆ギレされたり、何か隠していると疑われたり、攻撃されたり、と散々な目に合っている専業レベルの人が多いので、「もう当て屋とは二度と話をしたくない。」という人が多いのです。
私も色々と経験をしていますが、本当に全く話が噛み合わずに、永遠に平行線を辿ります。
そして、結局、勝てる方法を隠しているケチなやつだ、と思われるのが本当に辛いです。
この当て屋道から抜け出すのは、本当に難しい。
人が、基本的な考え方を変えるのは、本当に難しいです。
そこには、脱皮の苦しみが待っています。
しかし、脱皮しなければ、永遠に餓鬼の群れの一人となって、消えていくだけです。
私は、過去、大勢の投資家に接し、脱皮を何度も試みましたが、結局、ほとんどの人は、最終的には、私のもとから去って行きました。
全員が同じ思いを持っています。
勝っている人に対して思うことは、ただ一つで、
勝てる手法、やり方を教えて欲しい
みんなの望みは、ただただこれだけなんです。
脱皮とかそういうどうでもいいことではなく、勝てる方法が知りたいだけなのだ、という希望です。
例えて言うと、私は、イスラム教からキリスト教への宗旨変えを迫ります。
方や本人は、イスラム教の奥義を教えて欲しいと思っています。
私は、考え方を変えろと迫り、本人は、やり方を教えろと迫る。
これでは、話が全然噛み合わずに、自から離れていく、ということになるのです。
自分なりの相場哲学、相場への思い、考え方を捨てられなかったのです。
つまり、脱皮できなかったのです。
相場道とは、当てることと見つけたり
という当て屋道を絶対に手放そうとはしないのです。
林先生も、多くの投資家を当て屋から救い出そうとして、説得できずに大苦戦されていた様子を、本に何度も何度も書かれています。
「考え方を変えれば、一瞬にしてプロになれるのに、頑として変えようとしない。不思議だ。」(林輝太郎)
これは、立花本の立花さんも同じで、ご自身も、大変な苦労の上にやっと脱皮できたと書かれています。
あなたも株のプロになれる( 立花義正)
ちなみに、立花本は、ナンピン本ではなく、脱皮本です 汗
脱皮奮戦記本です。
当て屋の人は、みなさん投資本=手法本として読むので、逆張り本、ナンピン啓蒙本だと読んでしまいますが、完全に読み間違いです。
立花さんご自身が、当て屋で苦労に苦労を重ねた末に、如何にして脱皮したのかを克明に記した本です。
立花さんも、脱皮前には、ずっと負けて負けての負け組だったのが、脱皮してからしばらくしてプロになられました。
脱皮が転機になったのです。
如何にして脱皮したのか、克明に書かれています。
この本は、私が一番繰り返し読んだ本で、本は手垢で汚れているぐらい繰り返して読んでいます。
私の書評をこちらで書いていますので、一度読んでみてください。
何を隠そう、私自身、4年間にわたる地獄のブートキャンプを通じてやっと当て屋から抜け出せたのですから、偉そうには言えません。
過去のブログ記事で、このブートキャンプ奮戦記を書きましたが、脱皮に向けたドタバタ劇を書いています。汗汗汗
上達のプロセスこそ秘訣シリーズ
このシリーズの後半部分で、ブートキャンプ奮戦記を書いています。
今読むと長ったるいので、お暇な人はどうぞ。。汗
でもでも、ここで強く言いたいことは、脱皮前は、毎年毎年負け続けていた連戦連敗のしょぼい投資家だったわけですが、脱皮後は、もう20年近くなりますが、年単位で負けたことがありません。
同一人物の記録で、脱皮前と脱皮後でこれほどの違いがあるということなのです。
驚異的変化だと思いませんか。
勝てるようになった転換点は、脱皮したか、しなかったかであって、手法を手に入れたか、入れなかったかではない、ってことなんです。
一般の投資家の思いは、勝てる方法さえわかれば勝てるようになる、というものですが、そうではない、ということを、自分自身の体験からわかっているのです。
実際、キャンプで教わったのは、タートル型のブレイクアウトですから、今では、誰でもが知っていることです。
ただ、そこに脱皮があっただけです。
負け続けの当て屋だったしょぼい投資家の末席だった私が、脱皮して数年でプロになれた記録でもあります。
あの時、ブートキャンプで脱皮できていなければ、未だに当て屋として負け続けの人生を歩んでいたと思うと、ブートキャンプ入隊の決断は、ナイス判断と自分を思いっきり褒めてやりたいです。
ただし、入隊したのは100名近くでしたが、無事卒業できたのは10名足らずでした。
卒業できた10名は、全て負け組から勝ち組に変貌を遂げていました。これもすごいことです。
一方で100名中90名が脱落したのです。
みんな脱皮の苦しみに耐えられなかったからでした。
自分が持つ当て屋根性という相場哲学を捨てることができなかったのです。
私は、入隊し、なんとかしがみついて卒業できました。
自分なりの意地やプライド、これまでの経験、全てを投げ売ってこそ脱皮できたのです。
この記事は、もう12年も前の記事なんですが、年月の過ぎるのは早いものです。
そして、当時から、ブログの趣旨は、一貫して脱皮啓蒙だったことがわかります。
私の金銭面の成功は、私の将来の出来事を予想する能力とは際立って対照的だ。(ジョージ・ソロス)
このソロスの名言の意味は、ソロス自身が、相場を当てることはできない、と言っているのです。
私が尊敬する松下村塾の吉田松陰先生が、塾生に教えたことは、「志」でした。
ただただ、志を教えることで、高杉晋作を始めとして、明治で活躍した伊藤博文、山県有朋などの大勢の塾生が、明治を動かすことになったのです。
彼らが松下村塾で教わったのは、具体的なことも色々あったと思いますし、今考えれば間違ったことも多かったわけです。
しかし、そんな小手先の細い(こまい)ことなどどうでもよいことで、根本となる志が残ったことが大事だったのです。
これと同じことが、相場道で言えば、自分なりの哲学である当て屋からの脱皮だと私は考えています。
ただ脱皮すればいい、それだけでよい
たったそれだけでいいと本気で思っています。
それだけで、その瞬間から、プロへの道を歩めます。
そこからは、自動的にいい方向に進めるようになります。
少し時間がかかるかもしれませんが、当てよう当てようと亡者になっていた曇った目では見えない相場の世界が必ず見えてきます。
具体的なテクニカルとか、ファンダメンタルとか、そんな細いことなどどうでもいいことなんです。
そう言われても、わからないかもしれませんが、ファンダでもテクニカルでも、順張りでも逆張りでも、実は、どうでもいいんです。
そういう細いことにこだわっているから、本当の相場が見えないのです。それに気がつかないんです。
我々は、相場で儲けたいんです。アナリストや評論家になりたいわけではないんです。
誰もが、相場を始めた当初は、当て屋からスタートするのですが、どこかで脱皮しなければ、そこからは、一歩たりとも前には進めないと思います。
ほとんどの投資家が、当て屋のままで一生を終えます。考え方を変えるだけでいいのにもったいないことです。
ただ、他人の哲学、考え方を変えるのは本当に難しい。脱皮を教えることは、本当に難しいことなのです。。
まあ、はっきり言っておせっかいなことです。。
ただ、脱皮すればいい、しかし、その脱皮は死ぬほど難しい。。

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さて、先日、友人と話をしている時に、次のように言われました。
「あらなみさんは、3月頃に僕にある人の弱気のレポートを紹介されましたが、あらなみさん自身弱気だったのではないですか。」
「今、こうして高値に来ていますが、こうなることを予想されていましたか。」
というものでした。
私は、
「3月には弱気でしたし、当然3月の時点で、12月に高値が来るなど予想もしていませんでした。」
と答えました。
すると、彼は、どうも私が開き直っていると感じたらしいのです。
予想を外しておいて、いけしゃあしゃあと何言ってんだ、っていう思いだったのでしょう。
彼は、何も言いませんでしたが、どうやら、3月に弱気になって、売りから入って、かなりの損失を出したようなのです。
だから、腹が立ったのでしょう。
彼は、盛んに、
「プロの意見というものは、自分らにとっては、ものすごく参考にするものなのです。」
と言ってました。
私は、しまったっと心の中で思いました。
彼にとっては、当たるか外れるかは、何よりも重要なことだったのです。
私は全然気がついていませんでした。うかつでした。。
私としては、3月に、弱気を書いているとあるレポートを紹介しただけだったのですが、彼は、それを読んで、私自身が強い弱気になって、相場がまだまだ下げるのだと言っている、と理解したのです。
私は、この時思いました。
どんな時であっても、相場観を人に示したり、述べてはいけない。
立場上、相場が急変すると、よく相場観を聞かれたり、意見を求められます。
私自身、相場観は持っていますから、素直に答えるのですが、私自身は、自分の相場観に縛られることはありませんが、相手は縛られるんです。そのことに気がつくべきでした。
安易に相場観を話してはいけない立場だったのです。
相手が、専業やプロの投資家であるのなら、どんな相場観を交換したところで、そもそも他人の相場観に振り回されることなどありません。
しかも、その相場観を仮に持ったとしても、相場の値動きに従うのだから、いくら弱気であっても、売ったままで我慢することなどあり得ません。
しかし、相手が初心者やベテランであっても専業レベルに無い人は、やはり相場観に振り回されて、逆行されれば爆死する、ということが大いにあり得るわけです。
相場で勝てない人が思うことは、
相場を当てないといけない。
相場を予想して当てないと勝てない。
だから、相場観というものは非常に大事だ。
相場で勝っている人は、相場観が優れていて、当たっているから勝っているのだ。
大儲けしている人は、天才的な相場観で、次々に相場を当てているのだ。
という強い思いです。
しかし、考えてみてください。
昨年の12月頃に、今年がコロナに席巻されてしまうことになると予想できた人がどれほどいたのか。
2月頃に、コロナの毒性について正確に知り得た人がどれほどいたのか。
FRB、ECB、日銀など世界中の中央銀行がばら撒きを始めることを予想できた人がどれほどいたのか。
こういうことが予想できてこそ、相場の値動きが読めるのです。
こんなことが読めることなど、プロであろうが、アマチュアであろうが、エコノミストであろうが、アナリストであろうが、ジョージ・ソロスであろうが、誰もいません。
みんな同じ立場でしかありません。
つまり、予想や相場観など、プロでも、何一つ当てになどならないってことなんです。
繰り返しますが、開き直っているわけではありません。念の為 汗
タートル本からの引用です。
ある一流の商品投資顧問業者による最近の書評で、
「新入りのトレーダーがトレードの問題を考えるとき、成功するためには、まず初めにマーケットの行方を予測することを学ばなくてはならない。少し研究してみれば、長期の予測をするためにはファンダメンタルズ分析を使い、短期の予測をするためにはテクニカル分析を使うべきだということが分かるだろう。」
これに対して、このタートルズは、次のように述べています。
「何も真実から遠ざかっては存在し得ないように、これは危険な誤解である。」
何故このようにタートルズが言ったのかというと、予想をベースになどしても相場では勝てないという意味なんです。
繰り返しますが、ほとんどの人は、
相場の予想が当たること = 相場で勝つこと
だと思っています。
だから、ファンダメンタル、テクニカルを研究し、如何にすれば相場を当てることができるのかを日々研究しています。
つまりは、
当て屋道
です。
相場道とは、当てることと見つけたり
という強い相場哲学を持って、ひたすらに歩んでいるのが大勢の投資家の姿です。
この当て屋道という強い強い相場哲学は、簡単に剥がすことはできません。
基本的考え方、哲学というものは、本人が無意識に持っている根源的なもので、改宗するには、よほどの出来事や衝撃的事実が見えなければ変えることは不可能なものなのです。
例えば、
イスラム教からキリスト教に宗旨変えする。
共産主義から、資本主義に変更する。
というぐらいに困難なことで、ほぼ不可能と言っても言い過ぎではありません。
さて、何故こんなことをくどくどと書いているのかというと、開き直りのためではありません 汗
ここのところの考え方を直さないと、一歩も前に進めないからです。
今回の話は、このブログを書いている根本的な趣旨でもあるからなんです。
私のブログの趣旨は、そもそも脱皮啓蒙ブログなんです。
私は、多くの投資家が、相場を当てよう当てようともがき苦しみながらも、永遠に相場が当たらなくて、行ったり来たりを繰り返している姿をずっと見てきました。
この道、数十年のベテランの当て屋さんも大勢知っています。
彼らは、みんな負けています。
これ大事ですよ。当て屋で何十年相場をやっていても、ひとり残らず負けています。
そして、どこかで当て屋として勝てなかった投資家人生を終えるのです。
それでも、どこかに当てる方法があるはずだ、どこかに青い鳥がいるはずだ、と考えて、死ぬまで相場を当てる研究を続けている人も大勢おられます。
とにかく、細いやり方、手法、予想、に執念を持ってこだわり続けます。
何十年と経験していても、当たる確率など、初心者と大して変わらない。
いや、色々と知っているからこそ、迷いが生じてもっと勝率が低くなるぐらいです。
相場の予想において、みなさんは、予想のプロであるアナリストやストラテジストに勝てますか。
プロのアナリストでさえ全然当たらないことを知っていますか。
相場を当てれば勝てる。
この論理は正しいです。
だから、大勢の人がこの論理にはまってしまっています。
ただし、相場は当たらないのです。
論理は正しくても、この「相場を当てれば」というそもそもの前提が間違っているんです。
これは、競馬において、勝つ馬を当てれば勝てる、という理屈と何も変わりません。
そう言えば、ある人から言われたことがあります。
「当たるかどうかではない。当てないと勝てないのだ。」
と。
つまりは、当てること以外は、相場で勝てる方法がそもそも存在しないのだ、という強い思い込みです。
こう思い込んでいる人もすごく多いと思います。
そもそも、当て屋の人は、自分が当て屋だと認識などしていない。
当て屋だと認識していないほどに自然なこと、相場をやる限り当てることは当然のことだと信じて疑わない哲学を持っているのです。
そうなれば、どうしたら勝てるようになるのだろうと考えた時、とにかく当てないといけない。当てるためにはどうすればいいのかを考える、という方向にしか目が行かなくなって、他のことは何も見えなくなってしまうのです。
相場の研究の全ては、当てるために向けられる。
結果として、勉強や研究の目的が相場を当てることになってしまう、という手段の目的への転化が起きてしまうのです。
こうして、
相場の勉強 = 如何にして当てるかの研究
になっている人が大量発生するわけです。
林本にも同じことが書いてありますが、専業サイドから、一般の投資家を見る時に、
「あの人はどうですか。」
「あぁ、あの人は当て屋ですよ。」
「そうですか。では、何を言っても無駄ですね。」
というやり取りが行われます。
その人が勝てるか勝てないかは、ちょっと話をすれば、すぐにわかります。
何故わかるのかというと、その人が当て屋かどうかがわかればいいだけだからです。
本人は、真剣に相場を勉強し、勝てるように懸命に努力をしていると思っているのですが、所詮は、勝てない当て屋レベルの範囲だということが、見る人から見ればわかるんです。
だからといって、いくら「そっちは間違ってますよ」と言っても、全く聞いてはもらえません。
というより、逆ギレされたり、何か隠していると疑われたり、攻撃されたり、と散々な目に合っている専業レベルの人が多いので、「もう当て屋とは二度と話をしたくない。」という人が多いのです。
私も色々と経験をしていますが、本当に全く話が噛み合わずに、永遠に平行線を辿ります。
そして、結局、勝てる方法を隠しているケチなやつだ、と思われるのが本当に辛いです。
この当て屋道から抜け出すのは、本当に難しい。
人が、基本的な考え方を変えるのは、本当に難しいです。
そこには、脱皮の苦しみが待っています。
しかし、脱皮しなければ、永遠に餓鬼の群れの一人となって、消えていくだけです。
私は、過去、大勢の投資家に接し、脱皮を何度も試みましたが、結局、ほとんどの人は、最終的には、私のもとから去って行きました。
全員が同じ思いを持っています。
勝っている人に対して思うことは、ただ一つで、
勝てる手法、やり方を教えて欲しい
みんなの望みは、ただただこれだけなんです。
脱皮とかそういうどうでもいいことではなく、勝てる方法が知りたいだけなのだ、という希望です。
例えて言うと、私は、イスラム教からキリスト教への宗旨変えを迫ります。
方や本人は、イスラム教の奥義を教えて欲しいと思っています。
私は、考え方を変えろと迫り、本人は、やり方を教えろと迫る。
これでは、話が全然噛み合わずに、自から離れていく、ということになるのです。
自分なりの相場哲学、相場への思い、考え方を捨てられなかったのです。
つまり、脱皮できなかったのです。
相場道とは、当てることと見つけたり
という当て屋道を絶対に手放そうとはしないのです。
林先生も、多くの投資家を当て屋から救い出そうとして、説得できずに大苦戦されていた様子を、本に何度も何度も書かれています。
「考え方を変えれば、一瞬にしてプロになれるのに、頑として変えようとしない。不思議だ。」(林輝太郎)
これは、立花本の立花さんも同じで、ご自身も、大変な苦労の上にやっと脱皮できたと書かれています。
あなたも株のプロになれる( 立花義正)
ちなみに、立花本は、ナンピン本ではなく、脱皮本です 汗
脱皮奮戦記本です。
当て屋の人は、みなさん投資本=手法本として読むので、逆張り本、ナンピン啓蒙本だと読んでしまいますが、完全に読み間違いです。
立花さんご自身が、当て屋で苦労に苦労を重ねた末に、如何にして脱皮したのかを克明に記した本です。
立花さんも、脱皮前には、ずっと負けて負けての負け組だったのが、脱皮してからしばらくしてプロになられました。
脱皮が転機になったのです。
如何にして脱皮したのか、克明に書かれています。
この本は、私が一番繰り返し読んだ本で、本は手垢で汚れているぐらい繰り返して読んでいます。
私の書評をこちらで書いていますので、一度読んでみてください。
何を隠そう、私自身、4年間にわたる地獄のブートキャンプを通じてやっと当て屋から抜け出せたのですから、偉そうには言えません。
過去のブログ記事で、このブートキャンプ奮戦記を書きましたが、脱皮に向けたドタバタ劇を書いています。汗汗汗
上達のプロセスこそ秘訣シリーズ
このシリーズの後半部分で、ブートキャンプ奮戦記を書いています。
今読むと長ったるいので、お暇な人はどうぞ。。汗
でもでも、ここで強く言いたいことは、脱皮前は、毎年毎年負け続けていた連戦連敗のしょぼい投資家だったわけですが、脱皮後は、もう20年近くなりますが、年単位で負けたことがありません。
同一人物の記録で、脱皮前と脱皮後でこれほどの違いがあるということなのです。
驚異的変化だと思いませんか。
勝てるようになった転換点は、脱皮したか、しなかったかであって、手法を手に入れたか、入れなかったかではない、ってことなんです。
一般の投資家の思いは、勝てる方法さえわかれば勝てるようになる、というものですが、そうではない、ということを、自分自身の体験からわかっているのです。
実際、キャンプで教わったのは、タートル型のブレイクアウトですから、今では、誰でもが知っていることです。
ただ、そこに脱皮があっただけです。
負け続けの当て屋だったしょぼい投資家の末席だった私が、脱皮して数年でプロになれた記録でもあります。
あの時、ブートキャンプで脱皮できていなければ、未だに当て屋として負け続けの人生を歩んでいたと思うと、ブートキャンプ入隊の決断は、ナイス判断と自分を思いっきり褒めてやりたいです。
ただし、入隊したのは100名近くでしたが、無事卒業できたのは10名足らずでした。
卒業できた10名は、全て負け組から勝ち組に変貌を遂げていました。これもすごいことです。
一方で100名中90名が脱落したのです。
みんな脱皮の苦しみに耐えられなかったからでした。
自分が持つ当て屋根性という相場哲学を捨てることができなかったのです。
私は、入隊し、なんとかしがみついて卒業できました。
自分なりの意地やプライド、これまでの経験、全てを投げ売ってこそ脱皮できたのです。
この記事は、もう12年も前の記事なんですが、年月の過ぎるのは早いものです。
そして、当時から、ブログの趣旨は、一貫して脱皮啓蒙だったことがわかります。
私の金銭面の成功は、私の将来の出来事を予想する能力とは際立って対照的だ。(ジョージ・ソロス)
このソロスの名言の意味は、ソロス自身が、相場を当てることはできない、と言っているのです。
私が尊敬する松下村塾の吉田松陰先生が、塾生に教えたことは、「志」でした。
ただただ、志を教えることで、高杉晋作を始めとして、明治で活躍した伊藤博文、山県有朋などの大勢の塾生が、明治を動かすことになったのです。
彼らが松下村塾で教わったのは、具体的なことも色々あったと思いますし、今考えれば間違ったことも多かったわけです。
しかし、そんな小手先の細い(こまい)ことなどどうでもよいことで、根本となる志が残ったことが大事だったのです。
これと同じことが、相場道で言えば、自分なりの哲学である当て屋からの脱皮だと私は考えています。
ただ脱皮すればいい、それだけでよい
たったそれだけでいいと本気で思っています。
それだけで、その瞬間から、プロへの道を歩めます。
そこからは、自動的にいい方向に進めるようになります。
少し時間がかかるかもしれませんが、当てよう当てようと亡者になっていた曇った目では見えない相場の世界が必ず見えてきます。
具体的なテクニカルとか、ファンダメンタルとか、そんな細いことなどどうでもいいことなんです。
そう言われても、わからないかもしれませんが、ファンダでもテクニカルでも、順張りでも逆張りでも、実は、どうでもいいんです。
そういう細いことにこだわっているから、本当の相場が見えないのです。それに気がつかないんです。
我々は、相場で儲けたいんです。アナリストや評論家になりたいわけではないんです。
誰もが、相場を始めた当初は、当て屋からスタートするのですが、どこかで脱皮しなければ、そこからは、一歩たりとも前には進めないと思います。
ほとんどの投資家が、当て屋のままで一生を終えます。考え方を変えるだけでいいのにもったいないことです。
ただ、他人の哲学、考え方を変えるのは本当に難しい。脱皮を教えることは、本当に難しいことなのです。。
まあ、はっきり言っておせっかいなことです。。
ただ、脱皮すればいい、しかし、その脱皮は死ぬほど難しい。。

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