相場をやる真の目的とは何か 1
2013/09/08 Sun
「先日、知人の人と話をしていて、その人は、野村証券の営業マンの言いなりになって、バイオ株とかを売買して、500万円の資金がここ数か月で半分になった、というのですが、何故そんなに損ばかりするのか、途中でやめないのか不思議です。」
まず、こういう人は、そもそも損ばかりはしていない、ということ。
営業マンは動いている新興株を客に勧めているので、飛び乗って結構しばらくは利益になったりしているはず。
するとすぐに売って利益を確定する。
デイトレになるか、数日後かはわからないけど、数万円でも利益になれば、すぐに利確する。
営業マンも儲かったら客に電話して、利確を勧める。
そうやって回転売買ができている間はいいのだけど、損になった銘柄は戻るまで売らないで粘る。そうすると、必然的にそうやって損した銘柄が徐々にたまってくる。
最初は、資金に余裕があって、回転できているのだけれど、1つ引っかかって、2つ引っかかって、3つ引っかかって、としているうちに、ついに資金全部が塩漬けになってしまう。
そうなると、何もできなくなって、塩漬けが完成する。
そうやって放置した株は、バイオ株などゲテモノであればあるほど下げもきついので、数か月で半分になるなどは普通のこと。
最初から、塩漬けばかりという人などいない。
時間をかけて塩漬けを作る・・のが普通。
儲かったらすぐに売ってちょこちょこ利食い、損したら塩漬け、というパターンが普通だから、最後は必然的に全部持ち株は塩漬けということになる。
そもそも、
相場というのは、下手に当たるから質が悪いのだ。
最初から損して全然当たらなければ、とっくに小さな損でやめている。
下手に間違って当たるからこそ、大損への道を作るのだ。
「しかし、不思議なのは、そういうことをやっていたら絶対に儲からないのに、何故やるのでしょう。」
じゃあ、逆に何故だと思う。
「わかりません。儲けようとしているのは当然だと思うのですが。」
実は、そこがそもそも違うのだ。
そもそもの相場をやっている動機が全く違うんだ。
本人は、儲けようと必死なのは確かなのだけれど、本当の動機は実はそうじゃない。
実は、
相場を楽しんでいる。相場で遊んでいるんだ。
もっと言えば、博打をやっているだけなんだ。
博打を打って、遊んでいるんだ。
「そんなことはないと思いますよ。相場をやっている人は皆儲けようと思ってやっていると思います。」
そうだろうか。
相場ではわかりにくいかもしれないので、別の例を考えてみる。
じゃあ、逆に聞くが、競馬。
一発当てて儲けてやろう、と全員が思っているのは間違いない。
損しようと思って競馬をやる人などいない。
しかし、本気で儲けてやろう。これで生活してやろう、年間を通じて儲けを出そうとしている競馬ファンがどれだけいるのだろうか。
競馬場に5万人とか押し寄せるけど、そこで本気で儲けようという人はどれほどの%いるだろう。
では、パチンコはどうだろう。
日本は、博打大国なので、どんなに小さな町にも駅前にはパチンコ屋がある。
どれほどのパチンコファンがいるのだろうというほど、多くのパチンコ屋が軒を連ねている。
しかし、そのファンの中で、本気でパチンコで儲けようという人がどれほどの割合でいるだろう。
これで生活しよう、パチンコで儲けて家を建てよう、という人がどれだけいるだろう。
「うーん、ほとんどいないと思う。」
そうだろう、ほとんどいない。
ほとんどの人は、競馬、パチンコで負けている。
というより、延々と負け続けている。
ファン歴10年なら、10年間ずっと負け続けていても、まだ続けている。
そして、「これはおかしい。こんなことを続けていてもダメだ。」なんて思ってもおらず、相変わらず週末には馬券を買う。
休みの日に、一日中バチンコをやっている。
じゃあなんで、競馬やパチンコなどを続けているのか。
どうしてだ。
それは、博打を楽しむため。博打が好きだから、博打を打って遊びたいから。
つまりは、遊びのためにやっている。
本人は、「儲けるため」という大義を持っているので、否定するかもしれないけど、実際には、博打を打って遊びたいから競馬やパチンコをやっている。
本当の目的は、儲けるためじゃなくて、博打を打つこと。それが目的なんだ。
ここで、手段の目的化が起きている。
つまり、
本来は、儲けるための手段である「博打」という行為そのものが自己目的化している、ということなんだ。
「なるほど。つまり相場も同じだということですね。」
その通り。
相場だけが違うのか。相場だけは特別なのか。
相場参加者は、全員が儲けるためにのみ動いているのか。
と言えば、それは絶対に違う。
ここでも、本人は断固否定するだろうけど、かなりの割合の相場参加者は、博打を打って遊ぶことが自己目的化している。
本来は、投機という儲けるための手段が目的化しているんだ。
だから、さっきの500万を250万にした人は、実は目的を達している。
博打を打ちたい、という目的を達成できているんだ。
そもそも、営業マンの言いなり。そして、ゲテモノ株を自分で調べもせず適当に売買するなど、客観的に考えて儲かるはずがない。
それを何故やるのか、と言えば、目的はただ一つ。
博打を打ってドキドキしたいから。
博打を打ちたいから。
人は趣味に金を使うもの。
女性なら、服を買ったり、宝石を買ったり。
男なら、”飲む打つ買う”で使う。
車を買って250万使うか、相場で250万使うか、何らの違いすらない。
キャバクラで散財するのか、相場で博打打って使うのか、同じ。
遊んで使うのだから、全く同じこと。
しかし、投資をしている本人に聞いても、全員が「自分は儲けるためにやっている」と言う。
遊び目的を否定する。
そんなことは当たり前だ。
競馬とて、パチンコとて、「みんな儲けるためにやっている」と思っている。
それと同じことだ。
競馬やパチンコから考えてわかることは、相場とて、実は相当な割合の投資家の真の目的は実は「博打目的」だということだろう。
延々と何年も何年の負け続けているのに、同じように売買を続けている人など、その典型だろう。
「博打目的というのは、損を続けているということだけからわかるものですか。」
それは違う。
同じ損をしている投資家でも、その損の質が違うんだ。
私から見れば、実際の売買を見れば「単に遊んでいる」としか思えないような売買を工夫もなしに平気で続けているんだ。
売買の内容を聞くと、たぶんこの人は、相場で遊んでいるのだろうな、という売買を続けているのをものすごくよく見る。
「それはどんな売買なんでしょう?」
続く

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