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8:59

2013/10/11 Fri

本日は、SQでした。
FXで言う雇用統計のようなもので、月に1回のお祭りです。

SQでは、波乱を乗り切れば非常に大きなリターンが狙えるイベントである反面、リスクも非常に高いです。

今日の8:59分の心境は、まさに、

地獄の黙示録

のヘリに乗って戦場に向かう兵士のようだ、と感じていました。

緊張が極度に高まります。
頭の中で、あらゆる想定と対処、そして一瞬のミスも許されない緊張感で一杯です。

怖いか怖くないか、と聞かれれば、間違いなく怖い。
相場が恐ろしい。

手に汗がじっとり滲みます。
できれば、こんなことはしたくない。
しかし、これを職業としている限りやるしかない。

やりたいか、やりたくないか、ではなく、やるべきか、やるべきでないか、が問題なのです。

秒単位のミスが命取りになります。

頭の中で、何度も何度も値動きのシミュレーションを繰り返し、どう動けばどう対処する、こう動けばこう対処する、と繰り返し繰り返しやるべき対処を確認します。
8:00から8:59まで、当日気配の変化と戦いながら、この想定を繰り返します。
特にギリギリ5分間の値動きでやることをがらりと変えないといけないこともあるので、極度に緊張が高まります。

どうなるのかは、基本的にわからないのですから、あらゆる想定とその想定に対する対応を練っておかねばなりません。

リスクは背負いたくない、しかしリスクを取らないとリターンも無いのです。


さて、

場が始まってから、のこのこ出てきて「今日はどうしよう」などどねむたいこと言っている連中がたまにいますが、そんなので値動きの早い朝を制することができるはずがありません。
その時点で、もう「お前はもう死んでいる」です。
そういう人は、朝一のトレードは避けるべきでしょう、というより避けないと確実に死亡します。


確率の問題だ、ということは100も承知していても、一瞬の判断ミス、操作ミスということはあります。

一瞬でも迷ったら、その時点でゲームオーバーです。
そういう迷いは、想定できていなかったことが原因であることが多いです。

また、やるべきことをやっての敗北は、仕方がありませんが、防げる損失、ミスによる損失というのは、できればやりたくありません。

短期であればあるほど、瞬間の操作ミスが命取りとなるのです。

このように、朝を得意とするデイトレーダーが最も緊張するのは、8:59です。
頭の中で、何十、何百通りもの値動きの想定が駆け巡り頭はパンク寸前です。

相場が始まってしまえば、もう値動きに対応するしかありません。
頭で考えることよりも、体で動くという感じです。
値動きを受け止めて、事前の想定しておいた対処をするしかありません。
年間250日、もう10年近く繰り返し繰り返し戦い続けているので、9:00過ぎれば大した緊張感はありませんので、後は作業です。

しかし、SQ当日は、特に緊張感が高まる朝です。

そういった気持ちが交錯して、9:00スタート。


結果・・・今日は、何とか少しだけの成果で残念でしたが、生き残ることができました。

なによりも、生き残ること。
そして、生き残れたのは、相場のおかげです。
値動きが私に歯向かってこなかったから生き残ることができました。
ちょっと残念な値動きとなり、想定された利益は出せなかったのですが、それでも被弾はしませんでした。
ありがたいことです。

しかし、仲間のトレーダーは、被弾して重傷を負いました。

私と何がちがったのか。

一番大きいのは、



です。

こればかりは、防ぎようがありません。

次は、恐らく私が被弾する番でしょう。

しかし、今日のようなことを繰り返せば、運に関係なく「必然」が待っていることを知っている者としては、またヘリに乗って戦場に赴くしかないのです。


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相場をやる真の目的とは何か 4

2013/10/13 Sun

相場はギャンブルか、という話題を振ってくれた方がおられますので、せっかくですから連載の話に割り込んで「相場はギャンブルかどうか」を議論することを通じて、

①相場で稼ぐとはどういうことか

②相場の真の目的とは何か

について、考えてみようと思います。



相場がギャンブルかどうか、という議論は、こちらのコメント欄で地味に盛り上がっている博打かどうか、と同じ議論です。

私の見解は、前に書いたように、

相場であれ、競馬であれ、パチンコであれ、対象物によって、博打かどうかを判断するという意見は持っておりません。
対象物が何であっても、どのような目的を持って、どのようにやるか、が博打かどうかの分かれ目だ、と思っています。

この場合の定義は、博打とは、「楽しみのために単なる目先の偶然性に賭ける行為」を意味します。

なので、必然的に、この博打を楽しんでいる人たちが、とても好きなのが、

目先の予想行為

となります。

目の前の相場が上がるか下がるかを必死で当てようとして、予想することは、最も博打的と言える行為です。
当てるやり方を探している人もこれと同様になります。

短期的な予見性を信じて、長期的展望を持たない

ことがこの人たちの特徴でもあります。

とにかく、目先の相場がどうなるか、ということに興味が集中しています。
もしくは、当たるやり方を探す行為に興味が集中している、ということでもあります。

次に相場がどうなるのか、当てることができる、そう信じているわけです。
そして、その自分の立てた予想に賭けて、勝負するわけです。

これは、競馬で競馬新聞を見ながら赤鉛筆片手に必死で予想する競馬ファンと同じです。

次のレースを当てることができる、予想することができる、と信じているからこそ、当てようと努力するわけです。

そして、馬が走ってから、もう応援しても結果になんらの影響もないのに、必死で馬を応援するのです。

客観的に見れば、この行為は、誰が見たって「100%楽しみのために」やっている行為です。

この部分だけは、どんな言い訳も理屈もなく100%遊びの部分です。

実に博打的、ギャンブル的行為の醍醐味でしょう。

この行為は、株を持って相場の上げ下げに一喜一憂している投資家の姿と完全にダブります。

株の上げ下げに場中一喜一憂して、「はぁー、疲れた」って、何もしてねぇじゃねぇか、というよくある話です。

昔は、証券会社の店頭にたむろしているおっさんらのほとんどがこの類でした。

まあ、下がったら放置して、ちょっと儲かったらすぐに利食い、って感じでしたが(笑)


この博打の定義も、それぞれ思っている言葉の定義が違いますから、それだけの話なのかもしれません。
ここで書いたのは、あくまで私なりの定義に過ぎませんので、いろんな見解があって当然です。




相場はギャンブルかどうか、という議論を通じて私の定義から見えてくるのは、

相場を単なるギャンブルにするかどうかは、本人次第だ

ということだと思うのです。

何のために相場をやっているのか、ここをもっと突き詰めて考えることによって、自分が相場をやっている真の目的が見えて来るのではありませんか。

ついつい手を出してしまう。
勉強もしない。
値動きで興奮する。
我慢できない。
値動きにすぐに飛びついてしまう。

などなど、相場を単なる博打行為としてしまう要素は非常に多いです。



この定義に基づくと、もう一方で、非常に少数ですが、次のような人たちの存在が見えてきます。

優位性を持って、期待値を計算し、トータルで勝つことを目的に優位性に賭ける勝負をしている

その勝負というのは、対象物は、競馬であっても、パチンコであっても、それは、利殖行為となります。

いずれもが、先ほどの定義と間反対に、

短期的な偶然性を信じる一方で、長期的な必然性を信じている

ことに違いありません。

目先的には、当たるかどうかなどわからないと明確に理解しています。
ですから、目先の勝ち負けにはこだわりません。
一方で、その勝負を続ければ、最終的には、期待値の値が出るという必然性を信じている、人たちです。

コイントスで、表が出れば+2、裏が出れば-1の勝負をするとき、表に賭け続ける人たちです。

次に表が出るのか、裏が出るのか、それは神のみぞ知る、ですから、短期的には偶然性が支配しているのは当然です。

しかし、この勝負を続ければ、正の期待値が見えているわけですから、トータルでの大数の法則を信じているのです。

逆に言えば、

長期的な必然性を信じながら、偶然性の支配する目先の勝負を続けて行く

ということになります。
しかし、この心の持ちようは、ギャンブル性の反対を行く行為ですから、ものすごく難しく、自己規律が求められるものなんです。
なかなかに、この明鏡止水(荘子)の境地にたどり着ける人は多くありません。
わかっている人でも、目の前の動きに心乱れる、のが普通です。
私もその一人ですが、そうあろうと努力している、といったところでしょう。

目先の勝負を日々こなしながらも、心はそこにあらず。
常に長期的必然性を考える心を持つ、ということです。
 
目先の勝負で、勝ったか負けたかで結果を判断するのではなく「やるべきことができたか」「いらんことをしなかったか」で判断する、ということでもあります。

目先負けてもやるべきだったことがあるし、目先勝ってもやるべきでなかった勝負がある、と考えるのは、全て長期的必然性から判断しているのです。

目先で、当たったかどうか、勝ったか負けたか、ばかりを追いかけて、右往左往している大衆と、時間が経てば差がつくのは当然のことでしょう。

勝てば官軍だ、という人が結構多いですが、そう考えていれば、どうしても目先の勝ち負けを追いかける無間地獄に陥ってしまうのではないかと思うのです。

同じポーカーをやっていても、偶然性を楽しんでいるほとんどのプレイヤーの中に、全ての手の期待値を元に賭けるプロがます。
同じポーカーをしていても、別のゲームをしているのです。


このシリーズも大詰めをむかえていますが、このシリーズを通じて言いたかった結論めいたことを書くと次の通りとなります。

相場は、やりようによっては、ギャンブルにもなるし、利殖の手段にもなる。
多くの人は、相場をギャンブルとして楽しんでいるから儲けることができないでいる一方、一部の人は、相場のギャンブル性を排除して、自己規律を持って利殖の手段にしている。
そもそもの目的が違うのである。
両者は、同じ相場をしていても、全く別のルールによるゲームをしているのである。


勝っても負けても人は皆、相場から自分の欲しいものを手に入れる。 エド・スイコータ


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思考のプロセス

2013/10/14 Mon

思考のプロセスについて、コメントがありましたので、お返事がまた長くなったので、例によって記事に昇格です(笑)


まず、前の記事の裏話的なところから入っていきます。

「トレードはギャンブルかどうか」ということが話題だ、という命題でしたので、この「お題」に対して、私もちょうど連載と絡めて自分の見解があったので、いい機会だと思いました。

しかも、この命題を解くことは、「何故トレードで儲けることがかくも難しいのか」という答えにもつながることだと思っているので、とてもトレードの本質を探るには重要な議論だと思っているのです。


思考プロセスについては、これは、野川氏直伝なのですが、とにかく「何故?どうして?」と疑問を持って、深堀りすることが習い性になっています。

トレードにおいても「何故それは起こるのか?」 (野川氏)ということを徹底的に深堀りすることを習い性にしています。

単に起こった現象を表面的になぞったり、テレビでキャスターの言っていることを鵜呑みにするのは、私にとって最悪の理解なんです。

何故そういう結論に至ったのか、というプロセス抜きにして、答えだけをぱちったとしても、ほとんど意味がありません。

これは、トレードについても同じです。
具体的やり方だけを求めている人が大勢いますが、そんな答えだけをぱちっても、所詮はパチモン、バッタモン、ですよ。



そういう思考から、最も失敗に結びつきやすいこととして、私が日頃注意しているのが

勝手な前提を置かないこと

なのです。

これが思考プロセスにおける最大の障害だと思うので、前提ということについて、フォーカスを当てます。

前提とは、今回の事例ですと「競馬はギャンブルだ」という前提を置いて、だから相場も、みたいな感じです。
競馬はギャンブルだと決めつけてしまうと、競馬と相場はどう違うのだ、みたいな論理展開になってしまいますよね。
今回私が書いたこととは全然違う議論になってしまいます。

それより、「競馬は何もかもがギャンブルなのだろうか」と一般に言われている前提をまずは疑ってかかるわけです。
そうすると、「やり方によってはギャンブルではないのではないか」という疑問が出てくるわけです。

すると「はたして対象物によってギャンブルかどうかと考えることが正しいのだろうか」という疑問に当たります。

みんなが常識として考えていることは、果たして真実なのだろうか

という出発点から考えてみると、「一見すると当たり前」であり「疑問にも思わない」「当然の前提」と思われるようなことが、実は、当然ではない、ということはいくらでもあります。
そこを「本当だろうか」と疑ってかかることで、本質が見えてくることがあるのですね。


同じことで「大勢が思っている相場における常識」が実は、間違いで、誤解に基づく常識だ、ということが結構あることなのです。

デイトレで言えば、一般には「売り板が厚いということは、売り圧力が強い」というイメージがありますが、実際には逆であることが多い、とかです。

この思考パターンは、特にファンダメンタルを理解するにあたって重要だと思います。

業績が良いから株は上がる、という前提は、中長期的には間違いではありませんが、短期的にはそう単純な話にもならない、などです。


私はよく「教科書的」という表現を使いますが、これは、「相場本などで解説されており、常識とされていること」を指します。

この教科書的な理解、つまりは常識が、相場をやる上で妨げになっていることは多数あるのですね。

相場で勝つには将来を見通さないといけない

分散投資してリスクを軽減すべきだ

などでしょう。

特に、「相場で勝つには次に何が起こるか予想しないといけない」「相場を予想で当てることが勝つことになる」「儲かるやり方を見つければ勝てるようになる」信仰はもう熱狂的信者が多いですね。

これなど、実は全ては勝手な前提なんですね。

問題は、自分で勝手にそう思い込んでいるから、全ての出発点がここになってしまって、この呪縛から逃れられなくなってしまっているのです。

この常識や自分の勝手な前提をちょっと疑うだけで、世界が変わるのですが、絶対にその殻を破ろうとはしない人がほとんどです。

何故決めつけがいけないのか、というと、もしその前提が間違っていたら、その先が全て間違いになる、というとんでもない蛇の道になるからなんです。

ですから、この事例ですと、「もし、相場を当てなくても儲かる方法があるとしたらどういう方法なのだろう」と前提を疑ってかかれば、別の道が開けたりするのですが、それをやらないから、無間地獄にどっぷり浸かって出ることができなくなってしまうのです。

「当てるやり方を探す以外に相場で儲ける方法があるとしたら」というちょっとした疑問さえ持てば、無限ループから抜け出せるのに、自分で頑なに思い込んでいる前提を破れないから、一生を「やり方探し」で終わる人が続出するのです。

「前提を破る」「自分の常識を疑ってかかる」ということは、言葉で言うほどやさしいことではありません。
しかし、常にそのように意識することによって、頭も柔軟になると私は思っています。

そういうことからも、「勝手な前提を置かない」「勝手な先入観で物事を判断しない。」ということを常に念頭に入れて物事を考えるようにしているのです。


それにしても、頭の固い人は、常に「これこれは常識だ」とか「こうなって当然だ」など、常に

自分の常識、自分なりの勝手な思い込み

で物事を判断しようとします。

トレーダーにとっては、ものすごく危険なことだと私は思っています。

トレーダーでなくてもダメですが、特にトレーダーとしては(笑)

しかも、年齢を重ねるごとに、どんどん頭が固くなって、新しいことを受け入れることが難しくなってきます。

よく、テレビに向かって文句言っている人がいますが、そういう人の言っていることを聞くと「自分が世界で最も正しくて、他は全て間違っている」と言わんばかりの勢いです。

年齢を重ねた人に多く現れるものですが、

おめぇ、何様やねん!!

とつい言いたくなるような「世界の中心は俺だ」という人が結構多いのには、かなり辟易としていまいますね。

ネット上の口論も結構この手の人が主導していて「自分以外の意見は認めない」「存在してはいけない」という

独善主義

の人たちが跋扈(ばっこ)している状況です。

まるで、京都市中見回り役の新撰組のようで、自分の意見と違えば、間違いであると決めつけ、成敗しようとするのです。

自分と違う意見は、存在してはならない、ということなんでしょうか。

多様な意見があって当然なのに、何で決めつけるかなあ、と思いますね。

人の話をはなっから聞かない、人が話している間からもう反論を考えている、人たちです。

とても多いです。

そういえば、「分割が絶対だ!!」という分割屋さんも大勢おられますね。
分割以外は、全てダメだ、という決めつけ、独善です。


ちょっと相場で利益が出だすと「俺もいっぱしのものになった。このやり方で儲け続けられるのだ!!」と思ってしまいますが、違いますよ。

たまたま自分のやっていることと、相場環境が合っただけですからぁぁぁぁーー!!

ってことです。

心配しないでもすぐに元に戻りますよ(笑)

やり方神話を持っている人がよく陥りやすい罠です。

少し話ずれました、失礼しました(笑)



そうは言っても、自分自身も、つい妙な先入観で失敗することが時々ありますので、そういう時はものすごく反省しています。

絶対に勝手な先入観で物事を判断しない!!

独善主義に陥らない!!

といつも自分に言い聞かせているのです。

それでもやっちゃいますがね。

年齢からじわじわと来ていますねえ。
いずれ、アルプスの少女ハイジの山のおんじになってしまうのか、と思うと、怖い(笑)


最も疑うべきは、

自分の判断、自分の常識、自分が当たり前と思っていること

なのですから、人の話をしっかり聞く、人の話を尊重する、ことを忘れずに。

また話がちょっとずれちゃいましたかね、まあいいでしょう(笑)



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総合力と総花的

2013/10/22 Tue

前に総合力という話題を出した時に、特に説明もしなかったことに加えて、その後からファンダメンタルの話題に触れたりしたものですから、私の思う総合力と違った意味でとらえられている方がいることがわかりました。
さらに西原さんを紹介したものだから、なおさら混乱させてしまったのかもしれません。

ある投資家の方と話をしていて、相場の勉強ということについて、

「マクロの勉強もしなくてはいけません。ミクロの企業業績にについてもまだ知らないことが多いのでこれも勉強しないと。それから、チャート分析も大切ですね。海外の状況、NYや為替の動向など、モーサテを見て、本を読んで、勉強しないといけないことでいっぱいです。」

というので、そんな何もかも手を出してどう落とし前つけるつもりなんだろう、と心配になってきました。

どうやら、

あれもこれも手を出して、いろんな情報を総合して相場を考えることを総合力と理解されてしまったようです。

これはまずいことをした、と思いました。

どうやら、総合力を「投資戦略」のことと考え、いろんな情報を総合して相場をやること、と理解されたようです。

確かに「やり方」しか頭になければ、そうなるのが普通だということに気がつきませんでした。

まっ、まずい。

ということで、そう考えていない人はいいのですが、私の真意はそこにはありませんから、打ち消しということで記事を書きます。


まず、総合力の解釈についてですが、これは、そもそも私の言葉ではありませんが、私の解釈は簡単です。

総合力 = 投資戦略 × 投資心理 × リスク管理

です。

つまり、その真意は、

投資戦略も大切だが、投資心理も重要、リスク管理をおろそかにすれば破たんする

という意味で、一般の人が考えているように「投資戦略ありき」ではない。
投資心理が90%という意見にも組しない。
リスク管理さえできればよいという過激な意見にも組しない。

ということです。
それぞれ3要素がバランスよく掛け算されて初めて利益にが出せる、という意味です。
足し算にせずに掛け算にしたのは、どれかがゼロなら成果も出ない、という意味です。

一般に考えられているよりは、投資心理、リスク管理は重要度は高いと思います。

みんなの得意技である

コツコツドカン!!

はかなりの部分が投資心理の問題です。

また、みんなの必殺技である

ぶち切れ、血だらけナイフ100連発!!

など、完全にマインドの崩壊が原因です。

普通に考えられるよりも、マインドやリスク管理は、最終損益に非常に大きな影響をもたらします。

相場からのちょっかいに耐えきれるだけの精神力

ブレないリスク管理力

があってこそ、トータルで勝てる投資家となることができると思うのです。


ということで、投資戦略のみを捉えて「テクニカル+ファンダ+各種情報」を使いこなして総合的に判断すること、という意味では使っていないということです。

それは、総花的と言います。
当然いい意味ではありません。



ちなみに、私は、投資戦略は、シンプルでかつ、一芸に秀でる、方がよい、と考えていますから、

総花的な 何でも屋、ファミレス風、大食堂

ではなく、

専門店ブティック、京懐石料理専門、フレンチ専門

を良しとしています。

どう考えても、後者の方が上手い料理を出してくれそうだとは思いませんか。


コメントを書いていだたいているプロの方も大部分はそうでしょう。

コメントからわかることですが、あれもやるし、これもやる、というような人はほとんどいません。

私は分割屋です、と言われていた投資家さん、素晴らしい。
専門を持って、その道を究めることこそ近道だとつくづく思います。
一芸に秀でた職人さん、という感じで、いかにも稼いでいそう、って感じです。

一流の外科医というのはありますが、一流の何でも医者ってのは聞いたことがありません。

一流であればあるほど、専門性は深くなるものでしょう。


専門性が深くなりすぎて、外科医が内科医を批判する、ってのはどうかとは思いますが。これは余談(笑)



それなのに、初心者の方ほど、

あれもやる、これもやる、それもやる 、みんなやる

という人が多いと感じます。

そうじゃなく、中央突破したらどうでしょう、と言うのですが、どうやら、

知っている知識を全部使いたい

ようなのです。

それだったら、

闇鍋じゃねえかよ!!

と思うのですが、本人は至って本気です。

てっちりと、すき焼きとボルシチとカレー混ぜたらまずいだろうが、おらおらおら!!

ということが、いざ相場のこととなると、なかなかわかりづらいのでしょう。

あれもこれもやっちゃダメです。

それは、総合力ではなく、総花的と言います。




もう一点は、上手い人の真似をすること、上手い人のコピーをすること、これが相場で勝つ近道である、という理論から、とにかく、ダボハゼ的に真似をしようとする人もものすごく多いです。

確かに、一理ある。

が、しかし、

バックボーンが違いすぎるんですね、残念ながら。

片や10年選手。片や半年。では、目利き、土地勘、違い過ぎる。

いきなり見習い料理人が、フレンチのフルコースをやろうとして爆死する。

上手い人の真似をしたい、という気持ちはわかりますが、バイステップということもある、という話です。

それより、オムライスを上手に丸めるとか、練習しませんか。


登山初めて、いきなりマッターホルンかよ、ってことです。

それより、まずは高尾山、生駒山でしょ、って話じゃないでしょうか。

難しいことを難しくやろうとして、結局できなくて損失を続ける。

これも見ていてものすごく多いです。

結局、上手く行かなくて挫折してしまうことがとても多いのです。

気の毒になってきます。


プロゴルファーが使っているからって、同じドライバー使ってもダメですし、プロと同じコースの攻め方をしたら失敗します。
自分の体力や技量に応じた攻略というものが必要なんです。



昔、テニスのビヨルン・ボルグにあこがれて、ドネーのラケットを買って、65ポンドでガットを張っていたアホが私です(笑)

ボルグのラケットの真似したら、あのトップスピンが俺のモノに・・・て、ならないならない(笑)

おめぇとボルグとじゃあ、体力も技量も違いすぎるだろうが、アホンダラ!!

って感じでしたねえ。若気の至り、青春の一ページでした(笑)



西原さん、紹介しましたが、正直難しいです。あの目利きは普通じゃ無理。申し訳ない。
情報教えてもらうだけなら、杖にはなるけど、真似をするのは難しい。



分割の事例で言えば・・・
林先生の本で「商品相場の技術」に掲載されているプロの建玉の推移。
あれを真似することはよほどの分割技量があってのことです。
それこそ10年選手以上の技量です。
それより、まず最初は、「二分割一括手仕舞い」「均等分割」からスタートすればできるようになるんじゃないか。
そういうことです。



あっ、ちなみに、私、隠していたわけじゃありませんが、5分割ぐらい普通にやっています(笑)
だって、どこで利食いすればいいのか、わからないから(笑)


とりあえずマクロもいらない、ミクロも不要。
テクニカルの各種知識も不要。

まずは、わかるところから、見えるところから一歩ずつやってみればどうでしょう。


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プロフィール

あらなみ

Author:あらなみ
職業:個別株投機家・専業デイトレーダー

Twitter: @aranami718

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