義を重んじたいが
2014/08/21 Thu
■水害
この夏に入って水害による災害が多発しています。
山のメンテナンス不足とか確かにそういう理由もあるのでしょうが、目につくフレーズが、
観測開始以来、最大級の雨量を計測
というものです。
多くの方は、その地にずっと住んでいたのですから、そもそも過去何十年間とそんな災害にはあっていなかったということでしょう。
それなのに何故今年になってこうも多発するのか。
今年に何故「過去最大」が発生するのか。
世界を見渡すと、大干ばつ、豪雨による洪水被害はあちこちで起きています。
温暖化予測によれば、さらに過酷な自然の猛威が予測されています。
今の水害は、このプロローグに過ぎません。
しかし、全て自分たちがまいた種ということです。
そして、これが言われだして長いのに、目先の利害しか考えていないことの現れで、特に対策が打たれることもなく温暖化ガスは撒き散らされています。
今後毎年、「過去最大」を更新することにならなければいいんですが。。。
■義を重んじたいが
先日、木曽路という会社の偽装が発覚した当日、寄り付きは大きくギャップダウンしたものの、その後、上昇に転じてきました。
「この会社の株は買いたくないよな、絶対に社会的制裁を受けなくてはいけない会社だよな~ー!」
とか思いながら、この株を買ってしまいました。
こんな会社の株を買うなどどうかしている、と思う自分と、値動きから見て勝てる、と感じる自分が対決しながら、という矛盾した気持ちの中での複雑な心境でのトレードとなりましたが、実はこういうケースは多々あります。
一時的にせよこんな会社の株主になりたくない(会社はデイトレーダーなど株主とは思っていないでしょうが)
私はファンダメンタルを見ていますので、会社内容を理解してトレードすることが多いのです。
だから、その会社が何をしているのか、社会的存在意義はどうなのか、とつい考えてしまいます。
子供に多額の課金をしていた某ゲーム会社、こんな株も絶対に買いたくない。
力があれば、空売りで売り崩してしまいたい。
でも、実際には値動きで対処してるんだよねぇーーー。
ここが情けない。
投機家として、こんな会社は許せない。
子供から多額の金をむしり取る会社が評価されていいわけがない。
しかし、
義を重んじるのか、利にさといのか。
自分としては、上杉謙信のように「義」に生きたい、と思いつつ、やっていることは、「利」。
トレードなんて所詮はこんなものか、所詮は「義」ではなく「利」で動くものか。
儲かれば何でもするのか。心を捨てるのか。
ここで「義」に動けば、投機家の社会的存在意義も少しはあるというもの。
しかし、「利」でばかり行動するならそんなものも無い。
そういう自己矛盾の中で売買する日々。
投資家とは、所詮は自分は安全なところにいて、現場で働いている企業を売ったり買ったりしているだけ。
一方で、投資家が資金提供し、リスクを取っているから企業活動ができる、というのが資本主義の根幹。
そう考えれば、やはり「企業の社会的存在意義」を考えざるを得ないのではあるが・・・

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この夏に入って水害による災害が多発しています。
山のメンテナンス不足とか確かにそういう理由もあるのでしょうが、目につくフレーズが、
観測開始以来、最大級の雨量を計測
というものです。
多くの方は、その地にずっと住んでいたのですから、そもそも過去何十年間とそんな災害にはあっていなかったということでしょう。
それなのに何故今年になってこうも多発するのか。
今年に何故「過去最大」が発生するのか。
世界を見渡すと、大干ばつ、豪雨による洪水被害はあちこちで起きています。
温暖化予測によれば、さらに過酷な自然の猛威が予測されています。
今の水害は、このプロローグに過ぎません。
しかし、全て自分たちがまいた種ということです。
そして、これが言われだして長いのに、目先の利害しか考えていないことの現れで、特に対策が打たれることもなく温暖化ガスは撒き散らされています。
今後毎年、「過去最大」を更新することにならなければいいんですが。。。
■義を重んじたいが
先日、木曽路という会社の偽装が発覚した当日、寄り付きは大きくギャップダウンしたものの、その後、上昇に転じてきました。
「この会社の株は買いたくないよな、絶対に社会的制裁を受けなくてはいけない会社だよな~ー!」
とか思いながら、この株を買ってしまいました。
こんな会社の株を買うなどどうかしている、と思う自分と、値動きから見て勝てる、と感じる自分が対決しながら、という矛盾した気持ちの中での複雑な心境でのトレードとなりましたが、実はこういうケースは多々あります。
一時的にせよこんな会社の株主になりたくない(会社はデイトレーダーなど株主とは思っていないでしょうが)
私はファンダメンタルを見ていますので、会社内容を理解してトレードすることが多いのです。
だから、その会社が何をしているのか、社会的存在意義はどうなのか、とつい考えてしまいます。
子供に多額の課金をしていた某ゲーム会社、こんな株も絶対に買いたくない。
力があれば、空売りで売り崩してしまいたい。
でも、実際には値動きで対処してるんだよねぇーーー。
ここが情けない。
投機家として、こんな会社は許せない。
子供から多額の金をむしり取る会社が評価されていいわけがない。
しかし、
義を重んじるのか、利にさといのか。
自分としては、上杉謙信のように「義」に生きたい、と思いつつ、やっていることは、「利」。
トレードなんて所詮はこんなものか、所詮は「義」ではなく「利」で動くものか。
儲かれば何でもするのか。心を捨てるのか。
ここで「義」に動けば、投機家の社会的存在意義も少しはあるというもの。
しかし、「利」でばかり行動するならそんなものも無い。
そういう自己矛盾の中で売買する日々。
投資家とは、所詮は自分は安全なところにいて、現場で働いている企業を売ったり買ったりしているだけ。
一方で、投資家が資金提供し、リスクを取っているから企業活動ができる、というのが資本主義の根幹。
そう考えれば、やはり「企業の社会的存在意義」を考えざるを得ないのではあるが・・・

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