評価の狭間こそ
2015/06/04 Thu
今日は、お昼サボって、京都へ。
祇園の割烹で懐石をいただいてきました。
しかし、残念ながら、私には合いませんでした。
という言い方はマイルドですが、先付けから、疑問。
れんこんのマヨネーズ和えとか、料理としては微妙。
最初の料理からしてもしかして、と感じましたが、それは現実となりました(笑)
味つけも、京懐石にしては、キツイ味つけで、しかも甘い。
また、素材も、何で、という疑問が数多く、玉ねぎまるっポとか、最後までメリハリが無い感じで終わりました。
鮎は美味しかったけど・・・これは素材だし。。

全般的にどう言ったらいいんでしょう。
手の込んだ一品が味わえる京懐石というのではなく、それぞれの料理が、高級な居酒屋さんという感じの一品なんです。
美味しいことは美味しいのですが、それだったら、居酒屋さんで食べれば安くつくので、それでよい、という感じです。
そもそもが、そういうお店なのかもしれません。
ただ、京都のお酒は美味しかった・・・
しかし、このお店、ミシュランガイドで探しだした1つ星のお店でしたし、食べログの評価も決して悪くない。
関東からの評判も高い老舗で、伝統もあるそうです。
ですので、敢えて言うと、私には合わなかった。
というより、そもそも私の知る京懐石とは異質な感じがしましたね。
まあ、これもいい経験になりました。
ちなみに、一緒に食事した友人も、「うーん」という評価でした。
今日は、この友人のちょっとしたお祝いも兼ねてだったので、私のチャレンジが失敗してちょっと申し訳ない気分でした。
ごめん。どこかでリベンジさせて。
今回つくづく思ったのは、人の評価、ってやつです。
ミシュラン、食べログ、決して評価は悪くはない。むしろよい。
しかし、私はダメでした。
何だろう、このギャップは・・・って感じです。
ミシュランに掲載されているクラスのお店を選んで行くので、そうそう外れないのですが・・・
ミシュランがどう言おうが、食べログの評価がどうであろうが、私は自分の舌で最終的には評価します。
食に関しては自分で目利きするものであって、人の評価に左右されることはありません。
100人が美味しいと評価していても、自分がダメならダメ。
まあ、これは当たり前か(笑)
最低限、それぐらいのものは食べてきていますし、わかりますよ。
結局、他人の評価など、ある程度は当てにできても、最終的には自分で挑戦してみるしかありません。
それは、ミシュランとてあてにはできないのだ、と思い知りました。
祇園界隈には、知ったお店がいくつかあって、リピートしているところもありますが、こうやって新規開拓しないと、やはり新鮮味に欠けます。
といって、新規開拓には、リスクがつきもの。
今回は、友人のお祝いということもあったので、安全牌を踏むべきだったかとちと反省もしています(笑)
一方で、先日おじゃました、料理や 味蕾 というこれも懐石料理のお店です。
こちらは、夜の懐石で、もう何度もリピートしているお店です。

まず、素材の良さが桁違い。
こちらは夜でしたが、先ほどのお店のお昼のコースとの値段はほとんど変わらないのですが、素材の桁が一桁違います。
先ほどのお店が祇園という場所で値段を取っているとすれば、こちらは博多で場所も繁華街ではありません。
ご主人は、嵐山吉兆で修行されて、九州の有名店をいつくか回った後、5年前にお店をだされたとのこと。
常連さんも多いようで、週末に予約を取ろうと思えば、早めに取らないと一杯になってしまいます。
場所がそうよくないので、実力でもぎ取ったものなのは間違いありません。
もう、食べるのが申し訳ないぐらいの料理の出来栄え。芸術品とも言えるような手のかけ方。
そして、博多だからこそできる素材の良さ。
奥様と二人でやっておられるので、奥様に聞くと、やはり「博多に移って、素材が安いのでびっくりする」と言われていました。
食べるこちらも、ここまで出すか、というぐらいの素材を使って、その素材の良さをふんだんに引き出してくれている手の込んだ調理に圧倒されてしまいます。
これをよくお一人でここまで作っておられるものだ、と感心するしかありません。
味つけは、京都の薄味より、少しだけ濃い目の味つけで、博多のお客さんの舌に合わせておられます。
それがまたちょうどよい。
こちらのお店は、逆にミシュランに書かれているわけでもなく、食べログの評価は高いとは言え、多くはありません。
先ほどのお店が1つ星というのなら、こちらは間違いなく三ツ星ですよ。
私よりグルメな友人も、ここは高く評価しています。
こうやってみてみると、人の評価って何だろう、って思いますね。
私は大したグルメではありませんが、それでも、自分の舌と、他人の評価、ミシュランと比べてみて、色々と思うところがあります。
表面的な部分とか、形だけ、とか、評判とか、値段が高い、テレビで紹介された、とか、そういうことで、妙に評価が高かったりとか、でも、実際に食べてみれば、不必要に凝った料理であったり、素材を活かしていなかったり、また素材がダメだったり、そういうお店も結構多いんです。
実は、相場も同じようなことが往々にして起きることがあって、他人の評価・・・すなわち値動きとか、チャートとか、そういうものと、自分の目利きをした評価とが食い違うことが時々起こるのです。
その時、みなさんならどう考えますか。
マーケットの値動きが正しいのだ・・・これは、テクニカル分析派が信条としている考え方です。
ファンダメンタルがどうあれ、値動きは全てを織り込む、という考えです。
マーケットは間違っていない、そう考えれば、エッジはどこに求めることになるのでしょう。
値動きは全てを織り込む、というテクニカル分析の原理を信じるのなら、どこに優位性があるのでしょう。
価格が全て合理的で正しい価格であるのなら、どこに優位性があるのでしょう。
私は、自分の経験による目利きを信じています。
マーケットは、間違いなく時々間違いを犯します。
価格が完全に背景にあるファンダメンタルを瞬時に織り込むなど、あり得ないと私は考えています。
マーケットが間違っている、という隙間が見えれば、それは・・・エッジとなるのです。

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祇園の割烹で懐石をいただいてきました。
しかし、残念ながら、私には合いませんでした。
という言い方はマイルドですが、先付けから、疑問。
れんこんのマヨネーズ和えとか、料理としては微妙。
最初の料理からしてもしかして、と感じましたが、それは現実となりました(笑)
味つけも、京懐石にしては、キツイ味つけで、しかも甘い。
また、素材も、何で、という疑問が数多く、玉ねぎまるっポとか、最後までメリハリが無い感じで終わりました。
鮎は美味しかったけど・・・これは素材だし。。

全般的にどう言ったらいいんでしょう。
手の込んだ一品が味わえる京懐石というのではなく、それぞれの料理が、高級な居酒屋さんという感じの一品なんです。
美味しいことは美味しいのですが、それだったら、居酒屋さんで食べれば安くつくので、それでよい、という感じです。
そもそもが、そういうお店なのかもしれません。
ただ、京都のお酒は美味しかった・・・
しかし、このお店、ミシュランガイドで探しだした1つ星のお店でしたし、食べログの評価も決して悪くない。
関東からの評判も高い老舗で、伝統もあるそうです。
ですので、敢えて言うと、私には合わなかった。
というより、そもそも私の知る京懐石とは異質な感じがしましたね。
まあ、これもいい経験になりました。
ちなみに、一緒に食事した友人も、「うーん」という評価でした。
今日は、この友人のちょっとしたお祝いも兼ねてだったので、私のチャレンジが失敗してちょっと申し訳ない気分でした。
ごめん。どこかでリベンジさせて。
今回つくづく思ったのは、人の評価、ってやつです。
ミシュラン、食べログ、決して評価は悪くはない。むしろよい。
しかし、私はダメでした。
何だろう、このギャップは・・・って感じです。
ミシュランに掲載されているクラスのお店を選んで行くので、そうそう外れないのですが・・・
ミシュランがどう言おうが、食べログの評価がどうであろうが、私は自分の舌で最終的には評価します。
食に関しては自分で目利きするものであって、人の評価に左右されることはありません。
100人が美味しいと評価していても、自分がダメならダメ。
まあ、これは当たり前か(笑)
最低限、それぐらいのものは食べてきていますし、わかりますよ。
結局、他人の評価など、ある程度は当てにできても、最終的には自分で挑戦してみるしかありません。
それは、ミシュランとてあてにはできないのだ、と思い知りました。
祇園界隈には、知ったお店がいくつかあって、リピートしているところもありますが、こうやって新規開拓しないと、やはり新鮮味に欠けます。
といって、新規開拓には、リスクがつきもの。
今回は、友人のお祝いということもあったので、安全牌を踏むべきだったかとちと反省もしています(笑)
一方で、先日おじゃました、料理や 味蕾 というこれも懐石料理のお店です。
こちらは、夜の懐石で、もう何度もリピートしているお店です。

まず、素材の良さが桁違い。
こちらは夜でしたが、先ほどのお店のお昼のコースとの値段はほとんど変わらないのですが、素材の桁が一桁違います。
先ほどのお店が祇園という場所で値段を取っているとすれば、こちらは博多で場所も繁華街ではありません。
ご主人は、嵐山吉兆で修行されて、九州の有名店をいつくか回った後、5年前にお店をだされたとのこと。
常連さんも多いようで、週末に予約を取ろうと思えば、早めに取らないと一杯になってしまいます。
場所がそうよくないので、実力でもぎ取ったものなのは間違いありません。
もう、食べるのが申し訳ないぐらいの料理の出来栄え。芸術品とも言えるような手のかけ方。
そして、博多だからこそできる素材の良さ。
奥様と二人でやっておられるので、奥様に聞くと、やはり「博多に移って、素材が安いのでびっくりする」と言われていました。
食べるこちらも、ここまで出すか、というぐらいの素材を使って、その素材の良さをふんだんに引き出してくれている手の込んだ調理に圧倒されてしまいます。
これをよくお一人でここまで作っておられるものだ、と感心するしかありません。
味つけは、京都の薄味より、少しだけ濃い目の味つけで、博多のお客さんの舌に合わせておられます。
それがまたちょうどよい。
こちらのお店は、逆にミシュランに書かれているわけでもなく、食べログの評価は高いとは言え、多くはありません。
先ほどのお店が1つ星というのなら、こちらは間違いなく三ツ星ですよ。
私よりグルメな友人も、ここは高く評価しています。
こうやってみてみると、人の評価って何だろう、って思いますね。
私は大したグルメではありませんが、それでも、自分の舌と、他人の評価、ミシュランと比べてみて、色々と思うところがあります。
表面的な部分とか、形だけ、とか、評判とか、値段が高い、テレビで紹介された、とか、そういうことで、妙に評価が高かったりとか、でも、実際に食べてみれば、不必要に凝った料理であったり、素材を活かしていなかったり、また素材がダメだったり、そういうお店も結構多いんです。
実は、相場も同じようなことが往々にして起きることがあって、他人の評価・・・すなわち値動きとか、チャートとか、そういうものと、自分の目利きをした評価とが食い違うことが時々起こるのです。
その時、みなさんならどう考えますか。
マーケットの値動きが正しいのだ・・・これは、テクニカル分析派が信条としている考え方です。
ファンダメンタルがどうあれ、値動きは全てを織り込む、という考えです。
マーケットは間違っていない、そう考えれば、エッジはどこに求めることになるのでしょう。
値動きは全てを織り込む、というテクニカル分析の原理を信じるのなら、どこに優位性があるのでしょう。
価格が全て合理的で正しい価格であるのなら、どこに優位性があるのでしょう。
私は、自分の経験による目利きを信じています。
マーケットは、間違いなく時々間違いを犯します。
価格が完全に背景にあるファンダメンタルを瞬時に織り込むなど、あり得ないと私は考えています。
マーケットが間違っている、という隙間が見えれば、それは・・・エッジとなるのです。

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