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聖杯は存在するのか・・・4

2015/07/01 Wed

普段コメントを書いてもらっていないシステム派の方とのやりとりがとても楽しくて、コメントありがたく読ませて頂いています。
こうやって議論することで、自分が気がつかなかったことに、気がつくこともありますし、色々と刺激を受けるので、色々と考えが浮かびます。
コメント多く頂いているので、また、総括的に記事にすることにします。
いっぱい書いてもらっているので、全てを網羅できていませんが、私が気になったところだけということで。
こうやって、対立する意見であっても、お互いに相手を尊重しながら、意見交換できていることは、素晴らしいです。



■やり方探し&1000本ノック、どちらがいいのか

どちらにしても、簡単ではなく、時間がかかる、ということ、そして、どちらも努力しても結果がつくとは限らない、ということでしょう。
一方で、論点になっているのは、プロセスが無駄になるかどうか、という部分だと思います。

これは、イメージとしてどう捉えるか、と少し私なりに考えてみたのですが、こういう事例はどうでしょう。

そば打ち職人と製麺機開発。


そば打ち職人を志して、修行をする。
3年、5年、熱心に修行すれば、まかりなりにもそれなりの麺は打てるようになるんじゃないか。
そばを舐めるな、と言われれば、私はそば職人を知らないので、これは想像でしかないのですが、それなりに頑張って修行していれば、プロセスは無駄にはならない、と思います。

一方で、そんな手打ちではなく、自分だけのそば打ち機を開発する、という場合。
そば打ち機の開発に、3年、5年、と時間をかける。
そば打ちの理屈であるとか、頭では理解できていても、もし、機械の開発に失敗すれば、その人は、機械の知識は得ることができても、そば打ちの技術を手にできてわけではない。
実際に、そば打ちの修行をしていないわけだから、そば打ちが上手くなっているわけではなく、そばは打てない。
そば打ちに関しては、素人に近い。

私が、裁量とシステムについて思うのは、この違いなんです。

ただ、何度も繰り返しますが、そば打ち職人としての修行をしっかりした人、ということなので、中途半端に、機械に頼ってみたり、あれやこれやと手を出したり、実戦せずにレシピ勉強をしていた人人というのは、技術をマスターすることはできないでしょう。
後でこれについては書きますが、こういう「中途半端な修行」をしている人が多いように思います。

裁量トレードを練習する、といっても、多くの人がやっていることを見ると、中途半端なんですよ。

修行中なのだから、当然、損失が先行します。
そんなの当たり前のことじゃないですか。
その当たり前のことであるのに、ちょっと負けたら、これではダメだ、とポイする。

本気で最初から勝てると思っているんです。

ピアノの練習を始めた人が、最初からお金を取れる演奏できる、とでも思っているのか。
今日からゴルフ始めました、っていう人が、最初からゴルフで稼げると思っている、とすれば頭がどうかしている。
なのに、相場だけは、最初から稼げると思っている。

そもそも、中途半端な手法探しの手立てとして、実戦してるに過ぎないのなら、そんなのは修行期間に入らないです。


システム&1000本ノックの考察。
もう1つの事例です。

弁護士資格の取得。
これは、弁護士の資格が取れればよいが、取れなければ、何年かの勉強期間というのは、無駄に近くなる。
受験勉強など、他の「資格試験勉強」も同じで、資格が取れればいいけど、取れなければ、つぶしが効かない。

料理人の修行。
コツコツ時間がかかる。資格というものではなく、実力がつくかどうか。
しかし、3年、5年とやれば、それなりの実力は誰だってそれなりにはつく。
本気で頑張っていれば、それなりに腕で飯は食えるようになる。

システムというのが、資格試験に近い性質がある、一方で、1000本ノックは料理人の修行方式。
私のイメージですが、こんな感じです。

もちろん、資格取ってしまえば終わりじゃないのは弁護士もシステムも同じで、そこから先があるのだけれど、とりあえず資格を手に入れれるかどうかがカギとなっている。



■やり方へ到達するプロセスの間違い


ただ、大勢の方がやっておられることを見ていると、どっちつかず、なんです。
中途半端なんです。
資格試験に合格したいのなら、もっと徹底的にやらないとダメ。
「やり方」だけで差別化するって、想像以上に専門的ですよ。
システムの専門家って、半端ない、凄い。
検証でパソコンをブンブン24時間回しているとか普通で、HDDの寿命が1年しか持たないとか、そんなの一般人の常識外だと思いますよ。
ロジックの研究で、徹夜とか、ほんと半端ない。
私には、とても真似できない、と思いました。
でも、それが楽しくて時間の経過を忘れる、ってのがシステムマン(笑)

やり方探し、といっても、自分で研究しているのが本来で、実は、大勢の人は別のアプローチをしています。

他人頼り

です。

本やネット上、商材などで、やり方を探す、誰かに教えてもらおうとする。

自力本願ではなく、他力本願。

でも、他人を頼っても無駄です。

これが、一番ダメなアプローチです。

「やり方を探す」「トレジャーハント」といっても、他力本願で探すわけなので、これは、コメントを書いてくださっているシステム派のみなさんとは、全く違うアプローチであって、

お前らと一緒にされたくない!!

ってことだと思いますよ(笑)

しかし、実は、大勢がやっていることでしょう。

本でかじったり、ブログで探したり、商材買ったり、セミナーで聞いたり、そういうアプローチで、「他人からやり方を手に入れて」相場で勝とうなんて思わないことです。
何故なら、それで勝てるのなら、日本人1億総システムトレーダー、ですから(笑)
誰かを頼って、「やり方」を手に入れようとするアプローチは完全に間違いだ、ってことに早く気がつかないといけないと思います。

1000円のムック本を読んだら、簡単に100万円儲かったよ!!

ないない(笑)

それだったら、相場で損する人など、この世に一人もいないよ。

でも、多くの人はそう思って本を読む(笑)

現役のシステムトレーダーは、「ケチ」で教えないのじゃないんです。
教えたら、そのシステムは消滅するから、「教えたくても教えられない」んです。
ブログに晒したら、システムは瞬間消滅するんです。本に書いたら、瞬間消滅するんです。
システムのエンジンは、隙間なのだから、その性質上、大勢が押し寄せたら閉じる性質があるんです。

相場は、誰かが売ってくれるから買えるのであって、全ては相手さんが必要だ、という当たり前の事実があります。
みんなが勝てる方法を知って、そこで買えば儲かることがわかれば、誰がその勝てるポイントで売ってくれるのでしょう。
売り手と買い手の株数は、同数でないと、売買は成立しません。
相手が売ってくれなければ、買えないのです。それが相場です。

残念なシステムの成立要件とは、

自分だけが知っていて、他人が知らない

というものなんです。

この性質さえ理解していれば、本やネット上でやり方探しをすることが如何にナンセンスかということがわかるでしょう。

事例に出してもらっていた、ラリーの娘さんとか、タートルとか、確かに「周辺の数名に」教えている限りでは有効性は保たれることもあります。
流動性の罠をクリアできている範囲においては、有効性は保たれるでしょう。
システムを他人に教えることは、間違いなくできますし、それは、裁量よりもシステムの方がより簡単でしょう。
タートルシステムを伝授した期間は、確か数日だったと、本に書いてありましたし、そんなものでしょう。

これらの事例は、「あなただけには特別ですよ」ということです。
しかし、それが、一般の人にまで及べば、それは、基本詐欺でしょう(笑)

幸運にも、ラリー・ウィリアムズの娘に生まれて来れれば、一子相伝を受けられるかもしれません。
でも、残念なことに、私はラリー・ウィリアムズの娘ではありませんでした(笑)
ラリーの娘でない限り、教えてもらえる可能性はゼロに限りなく近い、と思いますね。



■定型化

教えるのにあたって、というより、最初は、どんな型でもいいから、定型化から入ると、早いのかもしれませんね。
これは、林先生の本にも書いてあったとおり、「決められた型からスタートする」という方法論です。
実は、私は、デタラメでもよい派なんですが、それだと、初心者の場合、どこから手をつけていいのか、わかりませんものね。

デタラメでもよい派というと、乱暴な、ってなると思うのですが、

泳ぎを教えるときに、教室で、泳法の講義をするより、とりあえず浮き輪を持たせて、プールで泳がす派、なんです。
そして、泳ぎながら、段々泳ぎを覚えていけばよい、という感じです。
この浮き輪というのは、リスク管理であり、損切り。
とりあえず浮き輪さえ持っていれば、溺れないだろう、ってことで。



■1000本ノックの効能

ノックを受けているうちに負けなくなった、という意味が不明、というコメントを見かけました。

では、逆に、問います。

「最初は勝つ方法を知らないから負けるのだ、という理屈ならば、その初心者は、負ける方法を知っているか。」


勝つ方法を知らない = 負ける

という理屈はそもそも通るのか。というよりも、勝つ方法を知らないから勝てないというのなら、

勝つ方法を知らない = 勝ったり負けたりで、トータルトントン


というのが本来ではないのか。

手数料、スリッページ以上に負けるとしたら、負ける才能があるから負けるのか。

上下50%の確率の相場で、何故、人は負けてばかりいるのか。

そうなると、「やり方」以外の要素によって負けたのではないか。
そういう「方法」以外の要素が相場というものにはあるのではないか。

1000本ノックで、最初に学べることは、「どうやったら負けるのか」ということです。


適当にやったら勝ったり負けたりするはずが、考えたら何故か負けばかり(笑)

最初は、負けてばかりなのだから、負けの事例は積み上がります。
一方で、勝つことは、たまの偶然だから、ほとんど事例にもなりません。
人は、「どうやったら勝てるのか」ばかり考えているものですが、それと同じぐらい重要なのは「どうやったら負けるのか」なんです。
どちらが簡単にわかるのか、というと事例が豊富な「どうやったら負けるのか」なのですね。
よほど記憶力に欠ける人でない限り、アホみたいに負け続ければ、誰だってわかってくるものです。
わからないのなら、それは、途中でポイしたからでしょう。
負けたら意味がない、と思って、途中でポイする人が99%なんです。
ノックを最後まで受けた人なら、ここで書いている意味がわかると思いますよ。



■最適化について


システム志向の人から、裁量の私がこうした質問を受けるというのも何なんですが(笑)

システムは、多かれ少なかれ最適化するものです。
ブレイクアウトというのは、最適化する余地が少ない方法ですが、それでも「どの期間のブレイクか」という期間のパラーメーターは最適化する必要があります。

例に書いてもらっている移動平均クロスは、どう考えても最適化せざるを得ないものです。
パラメーターがある限りにおいて、最適化は避けられません。
ただ、そのチューンナップをどの程度やるか、という意味で、「最適化を随時繰り返すかどうか」ということを最適化しない、という使い方をしている様子です。
この場合、正確には、「過剰な最適化は避ける」という言い方が適していると思います。

前の記事で書いたとおり、私は、堅牢性重視です。
なので、出来る限り、最適化とは縁遠いようなものを求めています。
最適化すればするほど、過去にバックアジャストするわけですから、どんどんカーブフィッティングに近づいていくわけです。
「歴史は繰り返す」というテクニカル分析の原則は、「それなりに繰り返す」という程度でしょう。100%繰り返すことは理屈から言ってもあり得ませんよね。

書いておられる「パラメーターを固定するかどうか」は、「最適化を随時繰り返すかどうか」という意味で使っておられますが、そうなると、過剰最適化の域だと思いますよ。
個別株だと、銘柄ごとに最適化するとか、そういうことも過剰だと思います。

一方で、フィルタールールがあってはいけない、ということはありません。
当然、何らかのフィルターでパフォーマンスが改善するなら、取り入れることはあっても、それは過剰とは言えないのではないでしょうか。
タートルのルールにもフィルタールールがありますが、必要なものだと思います。
ただ、バックアジャストし過ぎることがいけないだけです。



■システムでも裁量でもない第三極

システムにも「調整」があり、裁量にも「ルール」があり、クロスするところはありますが、決定的に違うのは、

①上達のプロセスの違い・・・システムは「検証による開発」であり、裁量は「経験による蓄積」である。

②売買の実行時の違い・・・・システムは「機械的」、裁量は「判断を伴う」。


という部分でしょう。

システムの場合、チューンナップもあるけど、新規開発もあります。
手に入れた一品をチューンナップしながら、頑張って使い込んでいくと同時に、エンジンの開発も重要なので、結構大変ですね。

裁量の場合、基本的ルールをしっかり持っているか、もう少し柔軟に色々織り交ぜているか、結構別れるんじゃないかと思います。
システムに限りなく近い人、そうでない人。
どちらにしても、ルールと規律を身につけて、コメントに書いてもらったように、「上手下手のある世界」なので、鍛錬しながら上達する、のが裁量でしょう。

そして、システムでも裁量でも、シングルストラテジーなのか、マルチストラテジーなのか。



ここで、システムか、裁量か、ということで、議論してるんですが、お互いに根っこに共通する地下水脈が流れていることに気がつきました。

それは、どちらも、勝てるようになるには、

努力して、自分で開発、鍛錬して、今のポジションを得ている

という共通項です。

開発も、鍛錬も、自力本願が基本です。

自力本願という共通項があるわけです。


だから、お互いに議論していても、意見が対立していても、妙な清々しさがあるんじゃないか、と感じているんです。

どちらにしても、結局、やるべきことをやっていれば、モノのなる可能性はあるわけですよ。



じゃあ、この議論を通じて、逆に、一番ダメなタイプが私の中で浮かび上がってきました。

それは、「間違った道」とコメントで書いてもらったとおり、

他力本願で、パクリをやろうという姿勢

じゃないでしょうかね。先程もちらっと書きましたけど、結構生息している感じがします。

言い方凄く悪いけど、ちょっとは自分で考えて努力しないと、ダメなんじゃないでしょうか。

システムであろうが、裁量であろうが、パクリでそこそこのレベルになれた、という人は私の回りでも聞いたことがない。存在しない。

ただ、パクってやろう、と狙っている人は大勢いるけど、みんなダメレベル(笑)

自分は、システムを志しています、って言っても、やっていることは、どこかに美味しいシステムが落っこちていないか探している、他力本願のパクリ屋という「えせシステム屋」って結構いる感じがする(笑)


コメントで書いておられるように、誰もがプロになろうというのではなく、お小遣い稼げれば、という人も多いというのはわかります。

でも、お小遣い稼ぎだから、努力せずパクリで楽にできる、という世界でもないように思いますよ。

システム屋、裁量屋、という一見、対立軸の議論になっていますが、もう一つの流派として、

パクリ屋

ってのがあるんじゃないか、って気がつきました。

自力で、「手法開発」する気もなく、といって、「鍛錬」する気もない。

どこかに美味しいネタが落ちていないか、それをパクりたい、楽して儲けたい、というパクリ屋。

儲けている人を頼みにして、「勝てる方法を教えてください」。
商材を買って、それで勝とうとしている。
とにかく、自分で努力しないで、人に頼って、相場で勝とうとする。
本を読んで、手法をパクってやってみるが、上手く行かなくてポイの繰り返し。
あっちをつまみ食い、こっちをつまみ食い、つまんではポイ、ポイ、ポイ(笑)


システムを開発する努力でもなく、ノックを受ける鍛錬でもない。

パクろうと、人の成果を漁る努力だけをしている

というより、パクることが努力だと思っている、のかもしれません。

ただ、この姿勢を持っている人で、勝てるようになった、ってほとんど聞いたことがない、と私は思いますが、どうなんでしょうかね。


そういえば、1000本ノックで頑張っている人を、バカにしたような人もいましたね。
自分では何の努力もせずに、人が頑張っているのをバカにする。
どういう姿勢なんでしょうかね。多分に僻みもあったのでしょうね。
理屈先行なんですよ。頭でだけ考えて、意味が無い、と決め付けするから、そういう態度に出るんでしょう。


もちろん、先人の知恵を使うこと、教えを請う事を否定するわけではありません。
勉強する、ということは、そもそもそういうことだから。
他の世界では、それで通用したかもしれません。
勉強して、知識を詰め込んだら、合格できる入試であるとか、資格試験であるとか、そういう成功体験が、パクリ思考の温床なんでしょう。

でも、こと、この相場の世界に関しては、パクリだけで、自分では何もクリエイティブに考えようとしない、鍛錬しない、というのでは、厳しいんじゃないでしょうかね。

私も、思い起こせば、昔は、パクろう、あやかろう、と必死でした。
自分で必死でシステムも考えていたけど、パクリも必死だった。
そもそも、ブートキャンプに入隊したのも、パクリ目的(笑)
でも、今、現在、モノになっていることって、全部自分で考えたことであり、鍛錬の結果、理解したことばかりです。
確かに、教えられて、モノになったことはあるけど、それは、ベースとなる基本的考え方とかであって、小手先の技術は、ほとんどがオリジナル、経験から導き出されたものでしかありません。

自分で考えてみる、人に頼らない、こういう姿勢って大事じゃないでしょうかね。

多くのコメントを読んでいて、ふとこういうことを感じました。



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聖杯は存在するのか・・・5

2015/07/09 Thu

今日は、行って来いの動きで凄い値動きになりましたね。
上海に振り回される日々がもう暫く続きそうです。
特に、マザーズ指数は暴落から一転して暴騰と、本当に激しい値動きでした。

2015-07-16.jpg

私がこういうお仕事していることを知っている方から、今のような相場展開になると、「大丈夫ですか」というありがたいご心配をして頂くことが結構あります。

私自身は、生粋のデイトレーダーですので、宵越しのポジションは持ちません。

ここが一般の方にはちょっとわかりにくくて、説明を要するのですが、デイトレーダーというのは、15時に相場が終わったら、全てのポジションを返済して、100%キャッシュになる、というのが基本です。
なので、例えば、朝、日経が1000円安しようが、2000円安しようが、全く損益に関係がありません。
逆に言うと、1000円高しても、儲かりません(笑)

なのでよく言われるのですが、「凄く上がっているから儲かっているだろう」というのも逆に言えば当たっていません。

家族は、こういうことを知っているので、何も心配はしていませんが、親とかは何をやっているのかよくわかっていないので、心配してくれていることがあります。

友人のデイトレーダーにも、「こういう時には、家族や親にはきちんと説明しないと、心配かけるよ」と言っています。

何故デイトレードなのか、というと、そもそも、デイトレーダーは、制御不能のリスクを嫌います。
つまり、ギャップです。
だからデイトレードするわけです。

ましてや、私の場合、ややこしいのは、空売りが得意だってことです。
こうなると、一般の方への説明は、かなり難しくなります。
下げたら儲かる、という仕組みの理解が無い方が結構多いんです。
FXをやっておられる方なら、売りで稼ぐというのは普通の行為だと思いますが、株は、買って売る、というのが基本ですから、上がらないと儲からない、とみなさん思っておられるのですよ。


ちなみに今回の下げは、なかなかすんなりと下げてくれてはいません。
ギャップでは、ドカンと下げるのですが、そこから戻っては下げ、戻っては下げ、ということで、素直に下げるという感じではありませんので、なかなか乗りにくいものでした。
まあ、明日以降もありますから、どちらに動くにしても、上手くついていけるように考えているところです。



そういえば、6月末は、優待の期限が結構あったので、家族で走り回ってしまいました。
優待の消化には、「自転車で回らなければいけない」という暗黙のルールがある(笑)
しかし・・・車を使ってしまった(笑)
毎年恒例なので、家族からは、もっと早く言ってくれ、といつも注意されています。



さて、コメントを書くかわりに記事を書いてるので、記事は進みますが、段々と聖杯はあるかないか、から離れていっているような気が(笑)
というより、あるかないか、というより、その内容や考察に移っているので、存在云々については、横に置いておきましょう。

いつもコメントいただく皆さん、ありがとうございます。
それぞれのコメントが、立派なブログ記事ぐらいあるので、恐縮します。
みなさんのコメントに私がいちいちレスをする必要もないぐらいに充実しているものばかりです。

ただ、ちょっと懸念するのは、ハイレベルなコメントを多数書き込んで頂いていることで、コメントが書きにくくなるのではないかということでした。

ご自分のコメントを薄っぺらいと書いておられる方もおられましたが、しっかりと考えておられると思いましたよ。

というより、難しいコメントだけでなく、感想やご質問でも結構ですので、遠慮なさらずにどうそ・・・と言っても書きにくいか。

いずれにせよ、こうやって、やりとりする中で、お互いに、相場に対する理解を深められればと思っています。



そもそも、私がこうやってブログを書いている大きな理由は、

相場の本質とは何か

ということを追求している、ということにあります。
そういう意味で、今のやり取りは、とてもその主旨に則っているので、みなさんのコメントはとてもありがたいのです。
私一人では、なかなか考察が深まらないので、こうやってブレーンストーミングすることで、どんどん深まっていると感じられます。

今回のように、システムの視点から、裁量の視点から、という2つの視点から課題を揺さぶることで、思考が深まる、ということなんですよね。


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聖杯は存在するのか・・・6

2015/07/12 Sun

昨日は、投資家仲間と祇園の「おが和」というお店に行ってきました。

2015-07-19.jpg

ご主人は、嵐山吉兆と祇園ささきで修行された方で、料理は、京懐石というより、京風の創作料理という感じでした。
味は、薄味で、出汁を効かせた一品。
ご主人の話を聞くと、工夫しながらご主人の好みの薄味にたどり着いたとか。

祇園にはよく行きますが、芸者遊びではないのが残念(笑)
昨日は、祇園祭の期間だったので、町には浴衣姿の女性が大勢いて、目の保養にもなりました。
でも、凄い人でしたねえ。


さて、
コメンいつもトありがとうございます。
初めましての方、コメントありがとう。
あらためて、いつものように、コメントを読みながら、レスの代わりに記事を書いていきたいと思います。



■相場観

相場観を求められることも結構あります。
今回も、「この先どうなるんでしょうね」という質問を受けています。
でも、相場観など、当たるも八卦当たらぬも八卦なので、基本当たりません。
なので、言うのは結構嫌ですねえ。
しかし、相場観は持っているわけです。

そもそもヘッドラインやイベントで右往左往している状況では、相場観など当たるほうがおかしいです。
当たったとて、それは偶然でしかありませんよ。

このあたりも説明するのが凄く難しいですね。

このブログを読んで頂いている読者の方であれば、ツーといえばカーの方が多いので、そういう説明は省けるわけですが、一般の方だと、

相場は、当てて取るものだ

と思っておられるので、当然、儲けている人 = 相場を当てている人、という方程式が成立するのです。

となると、一応、この仕事をしている私の言うことは、当たるものだ、と思われてしまって、えらいことになるので、下手に言うと危険です。

私は、自分の相場観ほど当てにならないものはない、と固く信じていますから、本人すら信じないものを人にレビューするなど、とんでもない、って話です(笑)



■ゲームのルールの違い

このように相場観を考えてみると、じゃあ、相場観じゃないのなら、どうやって儲けるのか、って話になるわけですが、私は次のように考えています。

職業的投資家のトレードというのは、当たるか外れるかが問われる当てもののゲームではなく、当たった時にどれだけ大きく利益を得て、外れた時にどれだけ最小限の損失で抑えるか、というゲームをやっています。

このゲームのルールにおいては、建玉から利食い、損切りという一連の流れで、一回一回の当たり外れに関わりなく、トータルでどうやってプラスに持っていくか、という技術面と精神面の勝負になるという要素が非常に高いのです。

一方で、多くの方がやっておられるのは、当たるか外れるかのゲーム。

なので、同じ相場をやってはいても、そもそもやっているゲームのルールが根本から違うのです。



この根本的な違いが見えていないと、当てものとしてしか相場が見れないのじゃないかと思いますね。

相場を当てることは、相場の当て方は、時間をかけても上手くはなりません。

しかし、損益の出し方は、練習すれば上手くなるんです。


上手くなることに時間をかけて、上手くならないことには、時間をかけないようにすることがコツと言えばコツです。

多くの方は、「如何にして相場を当てるか」という上手くならないことに、一生懸命時間を使っておられますので、見ていて、もったいないなあ、ッて思いますね。

あっ、ちなみに、手法探しも当て方の一種ね(笑)

どんなに努力しても、相場を当てることが上手くなることは困難を極めます。
それだったら、努力して、上手くなることに集中すればいいだけなんです。

一般の方の、システムに対する想像では、当たる確率が高いもの、という思いがあるかもしれませんが、勝てるシステムとは、そもそも期待値が高いものなのです。
しかも、ちょっとだけ。京料理の塩味程度のほんのちょっぴり高いだけ(笑)

なので、オシレーターをいじくって、「当たった当たった」と言っているようでは、システムを作るのは難しいでしょう。
天底を当てよう当てよう、という発想では、システムは難しいです。
勝っているシステムの多くは、勝っているのか、負けているのか、一見すれば、負けてばかりいるように見えるものなんです。
そもそも何でこんなところで売ったり勝ったりするのか、訳がわからない、という中で、でも、トータルすれば、結局勝っている、といったものが多いのが実態だと思いますよ。
しかも、その期待値は、意外と低い。というか、普通の人が想像するものとは全く違うものです。
普通の方が考えているような年で何倍もなるとか、短期間で数百倍とか、程遠いものがほとんど全部だと思いますよ。
ほんとに、皆が気がつかないほどの微細なところから、ちょっとだけいただく、これがシステムだと私は思っています。
まあ、私が知らないだけかもしれませんが(笑)



■攻めと守り


サッカーでも同じですが、守ってばかりでは勝てない、といって、攻めてばかりでは負ける。

臆病かつ大胆。

ご指摘の如く、矛盾している(笑)

しかし、矛盾をわかっていて、敢えて書く。

臆病かつ大胆であれ!!


ダメなのは、どこでも大胆、とか、根拠なき大胆さ、豪胆さ。

逆に、チャンスに出れない、ここだという時にちまちまやっている。

これでは、やはり勝てない。

臆病でなければ生き残れない。これは間違いない。

でも、チャンスに攻めることができなければ、結局はジリ貧となる。

相場の難しさって、こういう矛盾した中にあるのではないか、とふと思ったりする。



■設計(トレードプラン)と執行(オペレーション)

システムと裁量の事例については、いくつかあげてもらって助かります。

みなさんのコメントを読んで、色々と考えることができました。

専門職と事務職について、読みました。
ここで、事務職という事例の場合、システムというのは、事務をやることではなく、マニュアルを確立することがシステムのポイントです。

これは、老舗寿司屋と回転寿司チェーン店の事例でも同じです。
システムという概念は、学生アルバイト、というのではなく、回転寿司の自動化したオペレーション全般を指している、ということです。

ここで、ポイントとなるのが、

システム設計(トレードプラン)と売買執行(オペレーション)


ということを分離して考えていった方が概念が明確になるんじゃないか、ってことです。

システムトレーダーが力を入れているのは、あくまでも「システム設計」であって、どう執行するか、にはありません。
執行は、手動であろうが、自動であろうが、「機械的に執行」するわけですから、そこに「判断」や「個性やノウハウ」の入り込む余地はありません。
粛々と執行するだけなので、仮に手動でやる場合、学生アルバイトを雇っても可能(まあ微妙ですが)になるわけです。
これが、回転寿司チェーンの事例、といったことと同じってことでしょう。

設計と執行の分離が非常に明確です。


一方で、裁量トレードですが、ここはちょっと微妙な部分と誤解があるように思います。

裁量トレードであれば、システムと違って、執行する度にいちいち考えながら執行している

という理解がかなり一般的だと思うのです。

つまり、設計と執行が一体化し、経験則で渾然と売買している

という感じでしょう。

売買の都度、判断し、先行きを読みながら、考えて、やる、やらないを判断している、という理解です。

そもそも、設計(トレードプラン)と執行(オペレーション)の違いを意識していない、人が多いのではないか、と思います。

事実、そのように売買している人が多いでしょうし、今書いたことに特に違和感が無いのかもしれません。

なので、利食い損切りについても、その場その場で、値動きを読みながら、「判断」をしている。

買っていて、もっと下がりそうだと思えば、損切りするが、戻りそうなら耐える、といった具合に、判断を繰り返している。

その場で、リアルな値動きを読みながらやるのが裁量トレードだ、という理解です。

この是非についてどうか、という判断はしないでおきます。そういう人も多いでしょうから・・・


ただ、私の場合はどうか、というと、明らかにそうではありません。

私の場合、トレードする前に、何処でエントリーして、どうなれば、利食いし、どうなれば損切りするのか、ということは、事前に設計してしまっているので、、実際のトレードの執行時には、判断をしていません。

損切り、利食いも、事前の設計どおりであって、「その場において判断する」ということはほとんどありません。
つまり、執行ということにおいては、システムと同じです。

では、システムと何が違うのか、というと、「事前の設計を一回一回オーダーメイドして設計している」ということが違うのです。
執行は、自動化です。
なので、逆指値、指値を使うことも多いですし、手動であっても、逆指値的に終わることがほとんどです。
実際の売買は、証券会社の執行システムが勝手にやってくれている、ということも多いわけです。

つまり、執行にあたって、迷ったり、考えたりすることがない、ということです。

多くの裁量トレーダーは、ここを渾然一体としているのだと思いますし、そもそも両者を分けるという概念がないと思いますが、私は、ここは非常にシステムライクにやっています。

設計(トレードプラン)と執行(オペレーション)を分けて考えてみると、システムトレードにおいては、迷いなく分離がされていますが、こと、裁量トレードとなると、私のように、システムライクに分離しているトレーダーと、渾然一体となって売買しているトレーダーにはっきりと別れるのではないかと思います。

私は、トレードプランが全てであって、執行はもうオマケです。
執行の部分は、学生アルバイトに任せたいです(笑)
まあ、証券会社のシステムにお任せ、ということもあるので、自動売買ということでもあります。
つまり、システムトレードライクな売買なんです。

なので、私にとってのシステムと裁量の違いのイメージとは、

トレードの設計が、機械的画一的なプログラム化されたものなのか、それとも、それぞれの環境認識によってオーダーメイドされたものなのか

という設計の違いが、システムと裁量の違いであって、執行についてはどちらも変わりなく機械的である、ということです。


ちょと多くの方の裁量トレードのイメージとは違うのかもしれません。

ここの部分に関しては、他の人との違いにはっきりと気がついたのは、

損切りにおいて迷う


という話をよく聞くからです。実によく聞きます。いざ損してから、どうするか迷うのです。ちょっと待ってみようか、すぐに切ろうか、迷うのです。

何故迷うのか、私にはよくわかりませんでしたが、話を聞くと、損が出た段階で、そこで改めて上か下かを判断し、相場を読もうとしているから、迷っていたのです。
当然私は迷いません。何故なら、その段階では、もうシステムトレードの執行と全くといって同じだからです。
システムトレードで、損切りするかどうするか、その都度判断することがないのと同じです。


設計と執行をここまで分離すべきかどうかについの是非については、みなさんそれぞれにお任せしたいと思います。

私はこうだ、というだけです。

そう考えてみてわかりやすい私のイメージの事例としては、

プレハブ住宅と、注文建築
 の違い、といった事例が一番わかりやすいのかもしれませんね。



■守破離と他力本願

守破離とは、ウィキによれば次のような定義です。

守破離(しゅはり)は、日本での茶道、武道、芸術等における師弟関係のあり方の一つ。日本において左記の文化が発展、進化してきた創造的な過程のベースとなっている思想でもある。
まずは師匠に言われたこと、型を「守る」ところから修行が始まる。その後、その型を自分と照らし合わせて研究することにより、自分に合った、より良いと思われる型をつくることにより既存の型を「破る」。最終的には師匠の型、そして自分自身が造り出した型の上に立脚した個人は、自分自身と技についてよく理解しているため、型から自由になり、型から「離れ」て自在になることができる。



パクリ屋と、悪いイメージで前に書きましたが、最初は誰でも型を求めて、本などで学んでスタートし、発展させていく、というプロセスを辿るのは仕方がないことでしょう。

他の習い事なら、とにかく基本の型を覚えて、習って、それを守り通していく、ということでも前に進めるのかもしれません。

しかし、相場の場合、問題となるのは、みんなと同じならダメだ、という相場の性質に難しさが潜んでいるということなのだろうと思います。

これは、散々書いてきたことなので、理由は省略しますが、本で学んだ知識やセミナーで教わった「型」をどれだけ追求しても、それでは人と同じという領域から離れることができません。

手法をも求めている方というのは、「勝てる型」というものを探しておられるわけですが、それを他人頼りにしている限りは、一般の汎用品である可能性が限りなく高いわけです。

本を読んだり、ブログを探したり、セミナーに行ったり、そういうことで、「勝てる型」がどこかに落ちていないか、という努力をいくら積んだとしても、それは「他人が公開している型」であり「一般の汎用品の型」だということなのですよね。

大勢のシステムトレーダーさんにコメント書いてもらっていますが、そういうシステムトレーダーさんが、「汎用品の型」でシステムトレーダーになれた、という人がどれだけおられるのでしょう。
「汎用品の型」をヒントにはしたかもしれません。
しかし、現実には、人に教えてもらって、システムトレーダーになれたという人は、ラリーの娘であるという強力なエッジを持っていない限り、難しいんじゃないでしょうか。

このように考えると、トレードの場合、この守破離という概念はちょっと違って、他力本願によって型を探し続けるということでは、エッジを持つことが非常に難しいと思うんです。

できるだけ早く、汎用品から離れて、自分で考える、自分で相場から学ぶ、という道に進まないと、前には進まない
、そう思います。

ここは、システムであろうが裁量であろうが同じです。

人に頼ろう、どこかからパクろう、ということばかりではなく、実戦の中から、検証の中から、自分で考える、という方向転換をしないと、ダメじゃないか、と思いますよ。

そもそも、学習するとは、本から学ぶ、先生から教えてもらうことだ、ということが習慣、習い性になっているので、その延長線上で、相場も乗り切ろう、と考えてしまいがちですが、そういう他力本願の姿勢こそが、人と同じではいけないという奇妙な性質を持つ相場を難しくしている元凶ではないのか、と感じるこの頃なんです。



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デイトレのリアル

2015/07/19 Sun

昨晩、嫁とちょっとした言い合いになりました。
出かけている子どものことで、電車が遅延したりしていたので、そのことで私に配慮が足りない、ということをあまりにもしつこく言ってくるので、つい反撃をしたのが原因です。
しかし、そのことは問題ないことがわかっていたので、そのあまりの理不尽さについちょっとだけ反撃してしまいました(笑)

じゃあ、逆に、私が嫁に対して不満が無いのか、と言えば、今すぐに100上げることが可能です(笑)
でも、言わない。

そもそも、ですねえ・・・他人に対する不満や説教というのは、そこに注目すれば100でも1000でも探しだすことは可能なんですよ。
じゃあ、そもそも自分は100点満点で、欠点は無いのか、といえば、そういう人は世の中には存在しないでしょう。
誰だって欠点もあるし、弱みもある。ダメなところも多いし、それがわかっていることも多いでしょう。

ただ、相手のそういうところをねちねちとほじくりだして、小言を言うことが果たしてどうなのか、ということをいつも感じます。

人に対する不平不満というのは、そもそも、自分のモノサシで計っただけのもので、何が正しいかという正解ではありません。
自分のカルチャーを相手に押し付けているだけ、かもしれないということです。
単に、自分と違う、というだけのものだ、ってことですよ。
というより、そういう場合がほとんどでしょう。

人というのは、他人のあら探しは本当に得意中の得意です。
じゃあ、その人のいいところは無いのか、というと、あるけど、それはそもそも評価しないし、探しもしない。

自分が欠点だらけだ、ということは、横に置いておいて(笑)、他人のアラばかりを、重箱の隅をつつくように、探してばかりしているわけです。
そして、不平不満ばかりをを言う。
そうなると、精神状態も悪くなる。人生楽しくなくなる、という悪循環になる。

小言をグチグチ言う、ということになって、口を開けば「小言」ばかりということも少なくありません。
こうなると、人間関係もどうしてもぎくしゃくなってきます。。。

こういう話、共感してもらえる方、いたら嬉しいです。共感してもらった方は、拍手ボタンを押してもらえれば(笑)


こういう負の連鎖のメカニズムをわかっているので、私はそもそも「不満探しをしない」ということにしています。
できるだけ、いい面を探す、いいところを見る、ように強く意識しています。


それでも、小言攻撃がしつこく続くときには・・・実は、ある「手法」を使って乗り切っているんですよ。


その「手法」「秘技」とは、・・・・


小言攻撃を自分の精神修行のための「滝行」と割りきって、乗り切る

知人から教えてもらったものですが、これがなかなかよいです。

小言が始まったら・・・・心の中で手を合わせて「ありがとうございます。これで私の精神ステージが一段上がりました。悟りに一歩近づきました。ありがとうございます。」と(笑)

小言って、恐らく言っている本人は、相手がどれほど嫌な思いで聞かされているのか、傷ついているのか、全く理解していないのでしょうねえ。
それほど嫌な気分になることですが、それほどストレスがかかるからこそ、修行になるわけです(笑)

楽しいコトやいいことに目を向けるのか、嫌なことや辛いことを見るのか、選択肢は自分に一任されている、と私は思っています。
何を考えるのか、それは、実は、自分でコントロールしようと思えばできます。

せっかくこうやって日本という世界一食べ物が美味しくて(まあ勝手に思っているわけですが)、それなりに裕福で、安心安全な国に生まれてこれたラッキーを享受できるような生き方がしたい、生きることを楽しみたい、そう私は思っているのですが、なかなか思いというのは伝わらないものなのですよねえ。


今日も、「小言の滝行」を続ける日々(笑)

2015-07-27.jpg

まあ、家に居ながらにして、「滝行」の修行僧ができる、行者さんになれる、というのも、これまた楽し、ですかね。
ここまでのステージに上がれれば、もう「悟り」の領域かもしれないので、もう一歩頑張ります(笑)





さて、しょうもない話題は置いておいて(笑)

先日、スイングの方とやり取りしていて、感じるところがありました。
それは、デイトレとスイングの違い、というもので、それを書いてみようと思います。


何が大きく違うのか、というと、デイトレというのは、一言で言うと「現場」なんです。

戦争で言うと、参謀本部で戦局を見つめているのがスイングだとすると、最前線の兵士として直接相手と戦っているのがデイトレ、ということになります。

参謀本部においては、大局図として戦況図やマップというものが非常に重要であるように、チャートという戦局図が重要性を持っています。

また、相手の兵力、陣容、本国の国力など、基礎的なことも非常に重要になります。

しかし、デイトレの現場では、戦局がどうであろうが、まず目の前の敵とどう戦うのか、それが最も重要なものとなっています。

なので、デイトレは、泥臭いし、汚い戦いを強いられる。

相手を直接見て、場合によっては、銃ではなく、剣で戦うといったこともあり得るわけです。

スイングの方に、この眼の前の敵との戦いを説明しているうちに、スイングの方が、どこか遠くの方の戦いを上から見ている感じに捉えているのに対して、自分が説明しているデイトレの現場というのは、あまりにも生々しくて、相手の血しぶきなども見えてくるようで、ちょっと凄惨な現場説明をしてしまった、と思いました。

デイトレの現場というのは、本当に相手が目の前に見えているのです。
やらねばやられるという現場なので、どうしても、相手がどう動くのか、どうなれば相手は音を上げるのか、といった凄まじい戦いになってしまいます。

これは、参謀本部で、「部隊の半数を撃破」という知らせではありません。
目の前で、味方の兵士が死に、敵を直接撃つ、という現場なのです。

相手をやらなければ自分がやられる、そういう世界です。

これがいいとか悪いとか、そういう意味ではなく、それがデイトレの現場だ、ということなんですね。



普段、デイトレしない人が、デイトレをたまの休みにやって、速攻でボコボコにやられるのは、普段は遠くの戦いを指揮している立場から、現場の兵士になることができないからだと思います。

見ていること、感じていることがまるで違うのです。

デイトレの現場では、確かにチャートを見ています。5分足とか、そういうチャートです。
しかし、実際の戦いにおいては、何を見ているのか、というと、ほとんどの株のデイトレーダーは、

「板」

を見ています。

つまり、自分が戦う相手を直接見ているわけです。

相手の姿は、板に乗ってきます。板こそが、相手なんです。

そして、その板を食ったか、食われたか、板が乗ったか、逃げたか、その戦いを日々繰り広げているわけです。

最近では、HFTアルゴという自動売買システムとの戦いの最前線もこの板で行われています。

チャートが過去の戦局マップだとすると、板というのは、今現実にいる相手の姿そのものなんです。

この板を読めなければ、株のデイトレは難しいでしょう。

慣れたデイトレダーであれば、チャートを使わないでも板だけで感覚的に値動きを把握できるのはもちろん、銘柄によっての板の癖だとか、時間帯によっての板の出方、など、色んな環境変化を板から感じ取ることができるはずです。

逆に、板に頼りすぎるというのもどうかと思うので、私の場合は、チャートとの併用が基本ですが、板だけしか見ないという強者も結構多いです。

逆に、チャートだけというデイトレーダーは少ないのじゃないでしょうか。

それほど、株のデイトレにおいては、重要なツールです。

株のデイトレ以外の人には、全くといって馴染みがないのがこの「板」だと思いますが、デイトレではほんとに重要ツールです。
ディーラーの多くは、板だけ勝負ですね。

私も、板を読んで、相手と味方を直接見て勝負を仕掛けます。
チャートという足跡や、双眼鏡で遠くを眺める、ということではなく、敵の兵士を直接肉眼で見て、戦っているのです。

そして、板がどう食われたのか、つまり、売り方買い方の双方の攻撃がどう転回しているのかを板で直接読み取って、相場の強さ弱さを感じています。

たまのデイトレ、という人には、この「板」の取り扱いが全くわからないのだろうと思いますね。

株のデイトレにおいて、板ほど、デイトレとスイングの違いを象徴するものは無いと思います。

板とは、相手の姿そのものなんです。

前線の戦いにおいては、敵を直接見て攻撃するのは当たり前。
しかし、参謀本部においては、敵を直接見ても仕方がないのだから、戦略マップで指揮をする。
双方が押し合いへし合いしている戦略図を見ながら指揮を取る。
こういう構図でしょう。

この板を徹底的に利用しているのが、HFTと呼ばれるアルゴリズムトレードということになりますね。

一方で、システムトレードだと、遠く離れた本土から、ボタンを押している、という感じでしょうか。

遠隔操作なので、もはやゲームなのか、現実なのか、わからないぐらいです。

自分が撃つ相手を直接目視している前線の兵士であるデイトレーダーとは、まるで感覚が違うのだと思いますね。



デイトレの現場では、目の前で銃弾が行き来するだけに、心理戦に巻き込まれての死亡者が相次ぎます。

特に、たまのデイトレの場合、板が見えないことに加えて、目の前の戦いによって、心理戦の段階で死亡するのだと思います。

遠くでボタンを押しているのではなく、相手を板で目視しならが、直接血しぶきを浴びるのです。

私が、心理面を強調するのも、こういう差しつ差されつの現場出身だからこそ、とご理解賜れば(笑)




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投資における最も重要な概念 その1

2015/07/28 Tue

前回の記事の拍手、異例の55拍手をいただきました。
ありがとうございます。
「小言の滝行」に共感してもらったものだと思います。
55名の「滝行」の修行僧のみなさん、お互いに励まし合って、今日もご一緒に修行を進めていきましょう(笑)



さて、トレードのイメージとして、みなさんはどのようなイメージを持っておられるでしょうか。
私は、次のようなイメージを持っています。

2015-07-36.jpg

これは、Ridge climbing つまり、尾根登山という意味ですが、左右が切り立った尾根を登っていく、というイメージです。

ここでは、ちょっとした油断によって、一気に滑落、ということが起こります。

ちょっとした油断、ちょっとした損失、ちょっとした慢心、それが切り口になって、一気に崩壊する、それが滑落。


こういう登山において、一歩を踏み外しただけで、あっという間に滑落するのと同じです。

常に、緊張と集中を必要とする世界。油断は死を招きます。

持っているザイルは、命綱。つまり、損切り。

2015-07-37.jpg

ところが、命綱なしで登る無謀な登山者が後を経ちません。

恐らく、登山技術のイロハを何も教わっていないからでしょう。

一歩一歩、緊張感を持って進んでいるうちは特に問題は起こらないのですが、ちょっとした油断、ちょっとした隙があると、道を踏み外して、滑落、という現象が起こります。

滑落、というのは、ちょっと勝ちが続いた後、もしくは、少し大きめの損失を出した後、に起こりやすい、ということがわかっています。



そもそも、多くの投資家は、こういうギリギリのところを登っている、というイメージをまるで持っていません。


危険性を認識してはいないのです。

あたかも平地を歩いている、という感じでしょう。

そして、自分だけは大丈夫だ、という根拠なき自信を持っています。

元々、こういうところを歩いているんだ、という緊張感を持って、ザイルを持って、慎重に慎重に一歩一歩歩んでさえいれば、そんなに大怪我につながる確率は低くなります。

ところが、そういう緊張感なしに歩いているものだから、ふとしたキッカケで滑落する人が絶えないわけです。

現実の登山における滑落事故よりも、遥かに高い確率で、相場の滑落が起きているのはこのせいでしょう。

2015-07-38.jpg

特に危ないのは、登山歴2年目とか、ちょっと慣れたころ。
最初は、慎重に慎重に恐る恐る登っているから、逆に大事故は起こさないもの。
しかし、2年目ともなって、ちょっと儲かってくると、心に油断が起きてくる。
これが危ない。
ちょっとした慢心と油断が滑落を招く。

2015-07-40.jpg

トレードって、勝ったり負けたり、で、やり方を知れば勝てるようになる、というイメージかもしれませんが、それは違います。

トレードは、勝ったり負けたりを日頃しているのだけれど、どこかで滑落する、というのが真実の姿なんです。

ちょこちょこ勝ったり負けたりで破綻する人などいません。
相場で破綻するのは、ちょっと勝ったことで調子に乗るからなんです。
つまり、儲かったことが原因で、滑落するのです。

みんな、自分だけは違うと思っていますが、ちょっと親戚をたどれば、相場で大損した、という人の一人や二人いると思います。
それほど、相場でやられている人は多いってことです。

相場をやっている = 大損

というのが世間のイメージですし、それは、事実としてほぼ当たっています。

じゃあ、そういう人は、ちょこちょこ負けて、家屋敷を飛ばしたのか、というと、全く違います。
日々のちょこちょこした売買の延長線上にそういう破滅が待っているのか、と言えば、そんな人は一人もいません。

滑落したのです。滑落して、家屋敷を飛ばしたのです。


1万円とか、2万円とか、勝った負けた、と言っていた人が、いきなり100万円単位の損失を出す。

そして資金の大半を溶かす。

これが滑落です。

本当に多いです。

相場とは、正に切り立った尾根を登っているというイメージが正にぴったりです。

慎重に慎重に登っていくのだけれど、どこかで、ふとしたきっかけで滑落してしまい、資金の大部分を消滅させてしまう。

これがトレードの一番恐ろしいところなんです。



これは、何も1トレードで、っていう話でもありませんし、突然何かが起こって暴落に巻き込まれた、ということもありますが、多くはそういう話ではありません。

リーマン・ショック時に、滑落者が続出しましたが、リーマン・ショックとて、1日で下げたわけではなく、2週間もかけて下げたのです。
そもそも2週間もあれば、投げようと思えば、いつでも投げれたのに、それをしなかったから、つまり、自分の意思で持ちこたえたからこそ滑落したわけであって、いきなりのショックでどうしようもなかった、ということでは決してありません。
いつでも対処できたのに、しなかったのです。
自分の意思で持ちこたえようとしたから滑落したのです。
なおのこと、下げに向かってオーバーシュートの買いを断行した勇者の人たちが、枕を並べて討ち死にしましたが、敢えて向かってきたからこそ、滑落したわけです。



多くの滑落は、何ヶ月もかけて起こります。

単なる瞬間的な出来事ではありません。

自分では、普通にやっているつもりが、何ヶ月もかけて、資金の大半を溶かしてしまった、ということが現実には頻発している、ということを知っておくべきでしょう。

恐ろしいのは、「自分では普通にやっている」と思っていること。

つまり、滑落中だということに、無自覚だ、ってことです。

ここ、非常に重要です。無自覚にやってしまうから恐ろしいのです。

相場に魔物が住んでいる、というのは、こういうことを言うのだろうと思いますね。


そして、気がついたら、資金の大半が消えている、という現実の結果が待っているのです。でも、もうその時には遅い、ということです。

デイトレは、基本ポジションを持ち越ししません。
だから安全なわけですが、持ち越ししないでも、滑落は起こります。
ましてや、デイトレーダーが負けのポジションを持ち越すようになったら、滑落確定のようなものです。

この点で、組織に所属しているディラーやプロップのトレーダーの有利なところは、きちんとリスク管理してもらえる環境でトレードできる、ということでしょう。これが大きいです。
管理下でトレードするため、破綻まで行く前に止めてもらえる仕組みが構築されています。

でも、個人は違います。
個人は、これを自分でやらねばなりませんが、そもそもそういう自覚も無いし、管理もできていないから、どこかで落とし穴にハマって、気がついたら、自分が滑落していた、ってことがわかるわけです。

正に、映画シックス・センスのラストのブルース・ウィルス状態です(笑)



とにかく、相場で何を一番避けないといけないのか、というと、この滑落こそ、一番避けるべきことです。

ほんとに大勢がこれで消えていっているのです。

相場を知ったことで、地獄を味わうことになるのです。

相場さえ知らなければ、よかったのに、相場に関わったために、悲惨なことになる、こういう人を大勢見てきています。
多くは、社会的に成功した人。
しかし、皮肉にも自分は特別だ、という思いがあるからこそ、失敗するのです。

日常の勝ったり負けたりなど、これに比べればどうでもいい話。

何年にも渡って安定した利益を出している人でさえ、ちょっとしたキッカケで、滑落し、絶命するのがこの世界です。

こういうことを意識していない、経験していないノービスなら、イチコロでしょう。

みんな目先の技術にばかり目をやっていますが、この滑落の危険ほど重要なことはありません。

滑落さえしなければ、どこかで登れるチャンスはあるんです。

命綱というのは、普段は重いだけです。しかし、滑落した時には、ザイル1本で生き残れるのです。

損切りとて同じ。

普段は、損切りなどしなければよかった、戻ったのに、ということばかりかもしれません。
しかし、ここぞという滑落時に、無傷で登山を続けるには、ザイルは必要なんです。

これを意識せずに、投資などするべきではない、と私は思いますよ。

特に危ないのは、最初から儲かった人、もしくは、投資歴2~3年目の儲かりはじめてしばらくたった人、です。



長年、この世界でやってきている投資家なら、この滑落の危険性については、嫌というほど意識しているはずです。

私が何故、今こうやって生き残っているのか。

投資を始めたころから考えると、大勢の投資家仲間がいました。

しかし、みんなどこかで滑落して、投資家生命を絶たれました。

本当に、死を選択した人もいました。

次々に、滑落して、消えていきました。

多いんです。というより、投資家の末路は、すべからく、最後は滑落死にあり、と思えるほどに、多いです。

伊達や酔狂で書いていません。長年の私の経験上からわかっているから書いています。

だから、言うんです。

一時的に勝つ人は大勢いますし、それこそ億単位で稼いだ人も大勢いました。

でも、最後は、滑落死して、ほとんどが消えてしまいました。

私は、何度か滑落しましたが、ギリギリのところで一命をとりとめ、また、命綱で助かり、そこから這い上がってこれただけなんです。

こうして、滑落の怖さを知って、常に滑落しないことを意識しながら相場に取り組んでいるからこそ、何とかここまでは生き残れているのです。

ただし、明日にはもう、消えているかもしれませんが(汗)



この「最後は滑落死で終わる」という大勢の仲間を看取ってきた経験から言えることは、

相場などやるもんじゃない


ってことでしょうかね。



投資において、一番意識しておかねばいけないことは、何よりも、

如何に滑落しないか

ということなんです。

こんなこと、誰も言いませんし、どこにも書いていませんが、他の何よりも重要なことです。

これに比べれば、他のことは、取るに足りないことばかりです。

取れなくてもいいです。儲からなくてもいいです。滑落さえしなければ。

生きてさえいれば、何とかなります。
ジリ貧でも結構です。
でも投資家生命を絶たれるような負けを喫すれば、もうそこで終わってしまいます。



相場で儲かったと言っている投資家に対する世間のイメージとして「ちょっと儲かったからって有頂天になっているけど、すぐに損するさ!」というものがあります。

妬みや僻みということがありますが、このイメージは、概ね

正しい!!

です(笑)

ほぼ的中します。

何故なら、ほとんどの人は、その後に、滑落するからです。

滑落を逃れて生き残れる投資家は少ないです。

そして、儲かりだした頃が一番危ない、です。

最初から負けて負けてという人は、滑落もしません。

何故なら、無茶しないからです。というか、できないからです。

下手に勝つから、危ないんです。

このこと、すっと入った人は、それなりの経験者でしょう。



確かに、登山技術というのは必要です。

しかし、その技術さえ知れば、登山は可能なのだ、と思っている投資家が実に多いです。

本で登山技術を読んで、登山家のセミナーで教えてもらって、それで、一人前のアルピニストになれるのか、ということですが、大勢がそれでなれる、と思っています。

そもそも登山技術を知ることと、技術をマスターしていることは、まるで違います。

さらには、

滑落しないためには、技術だけでいいのか。

経験は必要ないのか。

精神力は問われないのか。





普通の人が、いきなりマッキンリーに行けるのか、ってことを考えてみてください。

そもそも、初心者と上級者、プロのアルピニストとの差は何なのか。

読んだ本の量か。登山技術の知識の差か。

プロのアルピニストのアルピニストたる所以とは何か。




登山で飯を食うこと、つまりプロの登山家になるということ。

初心者が、本を一冊読んで、いきなりプロの登山家になれるのか(笑)


2015-07-35.jpg

私は不思議に思います。

何故、最初からマッターホルンに登れると思っているのか(笑)


初心者と上級者との違いが、登山技術の知識にある、と思っている人は多いですが、長年この世界で生き残っている人は、間違いなく、滑落に対する対応力を持っている人です。

みんな消えていっていますよ。

消えた人は、運とか、相場の責任にするんですが、それは違います。

相場が悪かったからとか、運が悪かったとか、小手先の技術が無いからではなく、滑落への理解と備えが無いから、消えていってしまうのです。

たまたま今回生き残れたとしても、滑落への備えが無ければ、次回に消えるだけです。違いは、早いか遅いか、だけです。




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プロフィール

あらなみ

Author:あらなみ
職業:個別株投機家・専業デイトレーダー

Twitter: @aranami718

旧ブログ:
あらなみの相場技術研究所

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