投資における最も重要な概念 その2
2015/08/01 Sat
一昨日は、京都で鱧料理を堪能。
夏とともに鱧ですね。



ところが・・・
締めは、鱧しゃぶでしたが、満腹のため食べきれず。
量が多かったこともありますが、ビールの飲み過ぎが原因。
今日は、鱧がたくさん出てくるから、飲む量に注意して、食前酒ぐらいにしておかないと。。。
ビールは、お腹が膨れるから注意しないと。。。
わかっていて、注意していたのに、やってしまって、この始末です。
事前に、飲むのは抑えておこうと思っていて・・・
わかっちゃいるけどやめられない
このわかっていたのに、やってしまう、というのが人だからなんだと、自分でやってみて思います。
こういう時って、ともすれば人にせいにしたくなります。
目の前で、ガブガブ飲むから、自分もつい飲んでしまった。
悪いのは自分じゃない。目の前で飲むから悪いのだ(笑)
いやいや、悪いのは、全て自分ですよ。
事前に考えていたことを守れなかった自分が全て悪いのです。当たり前です。
恐らく、滑落、というのも、ある程度はわかっているのだと思います。
でも、つい気がついたら、やってしまっている。
苦っ、くるしい、もう食べられない。。
そういうことだろう、と鱧を残しながら、やってしまった自分に反省しつつ、思っていました(笑)
損したのは、相場が下げたせいでも、安倍さんのせいでも、ギリシャや中国のせいでもなく、強気を書いていたアナリストやブログのせいでもありません。
全部、自分が悪いのです。
大損したのは、自分が放置プレイしたからに過ぎません。誰のせいでもありません。全て自分の責任です。
予想が外れたから大損したわけじゃない。放置プレイしたから大損しただけなです。
みんな放置プレイが大好きですねえ。
投資家は、すべからく放置プレイ好きである理論
私は、かまってもらいたいタイプですが、何か(笑)
投資家は、損を放置プレイして、じっくりと育てていく一方で、利益を新芽のうちに摘み取ることが大好きなんです。
損をじっくり育てて、利益の芽を早々に摘み取る、恐るべし、コツコツドカン砲攻撃理論。
さて、滑落について、多くのコメント、また、拍手いただきました。ありがとうございます。
反響をもらった方は、滑落経験がおありなんだと思います。
画像をいくつか出しましたが、動画の紹介をいただきました。
Matterhorn climbing video - Walking on the razor's edge
長いバージョンではこういうのもありました。
Matterhorn - August 2013 - Traverse From Lion to Hornli Ridge - 4478m
ド迫力ですねえ。
マッターホルン登山、恐るべし。
投資家は、すべからくこういうところを歩んでいるわけですが、どこかで滑落する可能性を常に持ちながらトレードしている、ってことです。
相場を教えたりすることもありますが、いつも懸念するのは、この滑落。
下手に相場を教えたことで、その人を不幸にするのではないか、といつも思います。
しつこいようですが、本当に次々に滑落して、大勢の友人、知人が消えていきました。
もうここまで来たら、持つしかない。どうにでもしてくれ。
これだけ損したら、もう切れない。粘るしかない。
これだけは別。
何が、「別」なんじゃ(笑)
でも、みんな、これだけは別を持っている(笑)
投資というのは、サバイバルレース。
尾根にしがみつけているだけで、勝ち組なんです。
儲かっていない、勝てていない、なかなか勝てない、というのであれば、それだけで、百人に一人の成功者。
回りは、勝手に落ちていくのですから、単にしがみついているだけでも、勝ったも同然です。
「これだけは別」と言わないだけで、偉い。凄いトレーダー。
実は、目の前のトレードというのは、
損するとか、しないとか目先のことではなく、規律が守れるかどうか、それを相場から問われているのです。
その人が、これから先も同じことを繰り返すかどうかを、相場が見定めているのです。
今の目の前のトレードというのは、この先やる1000回のトレードのたった一回目なんです。
その目の前のトレードで、規律を守れないということは、これからやる1000回も守れないということと同じです。
つまり、一生涯、規律を守らずトレードする、という宣言と同じです。
ここが
Discipline Trader
であるのかどうか、ってことの分水嶺なんです。
今、目の前のことで規律が守れない人は、この先も絶対に守れません。
これからも同じことをやるに決まってます。
そして、
今、目の前のトレードで仮に我慢して上手く行ったとしても・・・いや、この先運よく100回切り抜けられたとしても、その先のたった一回で、滑落することが、今回守らなかったことで約束されるのですから、今回、勝っても負けても、もう同じことです。
目先のトレードの勝ち負けにこだわって、もっと大事なことが見えていないのです。
規律を守らない、ということは、ロシアンルーレットをやり続ける、という宣言と同じです。
今、弾に当たらなかったとしても、この先やり続ければ必ず弾に当たります。
どうせ、今、できない人は、早いか遅いかだけの違いで、滑落して相場から消えていく人、ってことなんです。
今、規律を守れない人は、今、死ななくても、いずれ死にます。というか、早晩、必ず死にます。
忠臣蔵の最後に、次々に切腹に向かうシーンで「お先に失礼」というセリフが印象的でしたが、正に「お先に失礼」というだけで、遅かれ早かれ、今回の我慢というのは、奈落行きへの切符を手にしたようなものです。
今、生き残れたのは、たまたま相場が戻ってくれただけで、単なるラッキーなんです。
この単なるラッキーを永遠に期待するようなトレードのやり方が続くはずがありません。
しかし、多くの投資家は、このロシアンルーレットを回し続けるわけです。
そして、当然の帰結として、いつか弾が当って、奈落に落ちる。滑落する、という終末を迎えます。
これは、当然の帰結、必然です。
窃盗など、犯罪で捕まる、というのは、それが最初の犯行ということはほとんどありません。
何度も何度も繰り返して、そして、結果として逮捕されるわけです。
滑落、というのは、たまたまそのトレードが失敗したとかそういうことではありません。
そのずっとまえから、規律を守らずにトレードしていたから、当然の帰結として滑落しただけなのです。
こんなもの、運が悪かったとかではありません。当然の帰結なんです。
それまで滑落しなかったのは、たまたま運がよかっただけの話です。
結局のところ、
相場で、一時的に勝ったとしても、それは、あくまでも一時的なもの。
ほとんどの投資家は規律を守れないのだから、結局、投資家の行き着く先は、奈落の底。
最終的には、滑落して投資家生命を絶たれる、というのがほとんどの投資家の行きつく先です。
「ちょっと儲かっても、すぐに大損するさ」という世間の評価は間違いなく正しいのです。
本などで、こういうことを説いてくれているものはほとんど見かけませんが、いくつかありますので、それを引用しておきます。
限界点を超えるとどうなるか。もうまともな思考力は失われている。今後の身の振り方、上司の顔、家族の顔、つまらないことばかりが頭の中をかけめぐる。涙をこらえる気持ちである。一種の堕落感である。もう彼はディーラーではない。ただの阿呆である。
(矢口新)
以下は、いずれも「中村佐熊著-投資人生」よりの引用です。
幸運の経験が次の悪手を作る
損切りをせずにがんばりとおして、回復した例もまれにはある。しかしその経験は、その後の戦いに必ず悪い影響を及ぼす。
昭和30年4月底当時、来客筋で小豆を売っていた方があった。ところがあの5 月2日、新甫底打ち、反転大爆発となった。
今までが漸落相場だっただけに、油断して、あの急騰を踏むに踏まれぬありさまとなり、取引店から強い追証の請求が来て、資産はあってもすぐ間に合う代用がなかった。
そこで是非なく、知人より証券を借りてがんばったのである。幸い大阪相場は反転暴落となり、損を取り戻して、手仕舞えた。
彼氏は当時鼻高々で、やはり辛抱が大事だといわれたので私はこう注意した。
「今回は運良くそれが良い結果を生んだが、今後に必ず悪い結果をおよぼしますよ」と。
その後6月初めの保合いに強気方針で買玉を建て、暴落に引っ掛かり、辛抱し、 前の儲けをそっくり失ったうえ、大損害を被ったのである。
これは誤った相場感と経験を資金の盾でかばい、深手を負った一番気の毒な見本である。
相場界の姿とその実際
頂上には成功して黄金の宝を持った巨人の姿も見える。これは新聞や世間話で知らされる。
登山口には投資家という資産家や実業人、サラリーマン、それに学者、定年退職者などいわゆる大衆投資家が、資金という人間社会での優位な武器を持って、なお一段高を望み、先を争ってヒシメキ合っておる。
登山口には別のグループもいる。それは黄金の山へ登ろうとする投資家の道案内人である証券や商品の取引員であり、いまひとつは新聞や雑誌等の投資研究機関である。
そして下山口には黄金の玉をなお持ち続けて出てくる人もあるが、数は少ない。多くは全身キズだらけ、手足を引きちぎられ、息もたえだえで放り出された哀れな姿の人たちばかりなのである。
問題は、相場の本質を知る前に、不思議な魔力に魅せられて、大切な資金を失ってしまう、その敗退の様相は素人も玄人も同じである。
即ち、初心者は自己の資金を頼りにして失くなるまで戦い頑張るし、経験者は技術と自己の過信とその名誉心に負けて敗退する。
「不手合の人が切るか煎れるかしなければ相場は止まらない。」
これは、経験すればするほどいやというほど知らされる。
百戦しても、一敗すれば元も子もすっ飛ぶ基本がここにある。
自己の資金や経験研究をあてにしても、相場に追われる時は、自分が損切りして敗退するまで相場は、毒蛇のごとく鎌首を持ち上げて、どこまでも追ってくる。
銀行預金の陰に隠れると、それをパクリと食べてしまうし、あわてて逃げ、倉に隠れると、その倉もまたパクリと呑み込んでしまう。これは大変と裏山に逃げれば、何をこしゃくなとその大きな山さえも、腹の中へ入れてしまうのである。
工場も、金山も、家屋敷も、相場に追われた場合の盾には決してならないのである。
一歩の後退は、百歩の後退の始まりなり、と私はいつも言う。
すなわち、一歩後退したくなるのは誰しも同じ心理状態であるが、これをやったら百歩の後退となり、トコトンまで相場に追われる結果になる。
家も山も田畑も飛ぶのはこの時である。
私は言う「素天井承知で売玉を踏み、ドン底承知で投げよ」と。
万人に一人も成功せず、相場界に顔を出したものは皆、その財産を失くして姿を消す実際を、いやというほど見てきているからそう説くのである。

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夏とともに鱧ですね。



ところが・・・
締めは、鱧しゃぶでしたが、満腹のため食べきれず。
量が多かったこともありますが、ビールの飲み過ぎが原因。
今日は、鱧がたくさん出てくるから、飲む量に注意して、食前酒ぐらいにしておかないと。。。
ビールは、お腹が膨れるから注意しないと。。。
わかっていて、注意していたのに、やってしまって、この始末です。
事前に、飲むのは抑えておこうと思っていて・・・
わかっちゃいるけどやめられない
このわかっていたのに、やってしまう、というのが人だからなんだと、自分でやってみて思います。
こういう時って、ともすれば人にせいにしたくなります。
目の前で、ガブガブ飲むから、自分もつい飲んでしまった。
悪いのは自分じゃない。目の前で飲むから悪いのだ(笑)
いやいや、悪いのは、全て自分ですよ。
事前に考えていたことを守れなかった自分が全て悪いのです。当たり前です。
恐らく、滑落、というのも、ある程度はわかっているのだと思います。
でも、つい気がついたら、やってしまっている。
苦っ、くるしい、もう食べられない。。
そういうことだろう、と鱧を残しながら、やってしまった自分に反省しつつ、思っていました(笑)
損したのは、相場が下げたせいでも、安倍さんのせいでも、ギリシャや中国のせいでもなく、強気を書いていたアナリストやブログのせいでもありません。
全部、自分が悪いのです。
大損したのは、自分が放置プレイしたからに過ぎません。誰のせいでもありません。全て自分の責任です。
予想が外れたから大損したわけじゃない。放置プレイしたから大損しただけなです。
みんな放置プレイが大好きですねえ。
投資家は、すべからく放置プレイ好きである理論
私は、かまってもらいたいタイプですが、何か(笑)
投資家は、損を放置プレイして、じっくりと育てていく一方で、利益を新芽のうちに摘み取ることが大好きなんです。
損をじっくり育てて、利益の芽を早々に摘み取る、恐るべし、コツコツドカン砲攻撃理論。
さて、滑落について、多くのコメント、また、拍手いただきました。ありがとうございます。
反響をもらった方は、滑落経験がおありなんだと思います。
画像をいくつか出しましたが、動画の紹介をいただきました。
Matterhorn climbing video - Walking on the razor's edge
長いバージョンではこういうのもありました。
Matterhorn - August 2013 - Traverse From Lion to Hornli Ridge - 4478m
ド迫力ですねえ。
マッターホルン登山、恐るべし。
投資家は、すべからくこういうところを歩んでいるわけですが、どこかで滑落する可能性を常に持ちながらトレードしている、ってことです。
相場を教えたりすることもありますが、いつも懸念するのは、この滑落。
下手に相場を教えたことで、その人を不幸にするのではないか、といつも思います。
しつこいようですが、本当に次々に滑落して、大勢の友人、知人が消えていきました。
もうここまで来たら、持つしかない。どうにでもしてくれ。
これだけ損したら、もう切れない。粘るしかない。
これだけは別。
何が、「別」なんじゃ(笑)
でも、みんな、これだけは別を持っている(笑)
投資というのは、サバイバルレース。
尾根にしがみつけているだけで、勝ち組なんです。
儲かっていない、勝てていない、なかなか勝てない、というのであれば、それだけで、百人に一人の成功者。
回りは、勝手に落ちていくのですから、単にしがみついているだけでも、勝ったも同然です。
「これだけは別」と言わないだけで、偉い。凄いトレーダー。
実は、目の前のトレードというのは、
損するとか、しないとか目先のことではなく、規律が守れるかどうか、それを相場から問われているのです。
その人が、これから先も同じことを繰り返すかどうかを、相場が見定めているのです。
今の目の前のトレードというのは、この先やる1000回のトレードのたった一回目なんです。
その目の前のトレードで、規律を守れないということは、これからやる1000回も守れないということと同じです。
つまり、一生涯、規律を守らずトレードする、という宣言と同じです。
ここが
Discipline Trader
であるのかどうか、ってことの分水嶺なんです。
今、目の前のことで規律が守れない人は、この先も絶対に守れません。
これからも同じことをやるに決まってます。
そして、
今、目の前のトレードで仮に我慢して上手く行ったとしても・・・いや、この先運よく100回切り抜けられたとしても、その先のたった一回で、滑落することが、今回守らなかったことで約束されるのですから、今回、勝っても負けても、もう同じことです。
目先のトレードの勝ち負けにこだわって、もっと大事なことが見えていないのです。
規律を守らない、ということは、ロシアンルーレットをやり続ける、という宣言と同じです。
今、弾に当たらなかったとしても、この先やり続ければ必ず弾に当たります。
どうせ、今、できない人は、早いか遅いかだけの違いで、滑落して相場から消えていく人、ってことなんです。
今、規律を守れない人は、今、死ななくても、いずれ死にます。というか、早晩、必ず死にます。
忠臣蔵の最後に、次々に切腹に向かうシーンで「お先に失礼」というセリフが印象的でしたが、正に「お先に失礼」というだけで、遅かれ早かれ、今回の我慢というのは、奈落行きへの切符を手にしたようなものです。
今、生き残れたのは、たまたま相場が戻ってくれただけで、単なるラッキーなんです。
この単なるラッキーを永遠に期待するようなトレードのやり方が続くはずがありません。
しかし、多くの投資家は、このロシアンルーレットを回し続けるわけです。
そして、当然の帰結として、いつか弾が当って、奈落に落ちる。滑落する、という終末を迎えます。
これは、当然の帰結、必然です。
窃盗など、犯罪で捕まる、というのは、それが最初の犯行ということはほとんどありません。
何度も何度も繰り返して、そして、結果として逮捕されるわけです。
滑落、というのは、たまたまそのトレードが失敗したとかそういうことではありません。
そのずっとまえから、規律を守らずにトレードしていたから、当然の帰結として滑落しただけなのです。
こんなもの、運が悪かったとかではありません。当然の帰結なんです。
それまで滑落しなかったのは、たまたま運がよかっただけの話です。
結局のところ、
相場で、一時的に勝ったとしても、それは、あくまでも一時的なもの。
ほとんどの投資家は規律を守れないのだから、結局、投資家の行き着く先は、奈落の底。
最終的には、滑落して投資家生命を絶たれる、というのがほとんどの投資家の行きつく先です。
「ちょっと儲かっても、すぐに大損するさ」という世間の評価は間違いなく正しいのです。
本などで、こういうことを説いてくれているものはほとんど見かけませんが、いくつかありますので、それを引用しておきます。
限界点を超えるとどうなるか。もうまともな思考力は失われている。今後の身の振り方、上司の顔、家族の顔、つまらないことばかりが頭の中をかけめぐる。涙をこらえる気持ちである。一種の堕落感である。もう彼はディーラーではない。ただの阿呆である。
(矢口新)
以下は、いずれも「中村佐熊著-投資人生」よりの引用です。
幸運の経験が次の悪手を作る
損切りをせずにがんばりとおして、回復した例もまれにはある。しかしその経験は、その後の戦いに必ず悪い影響を及ぼす。
昭和30年4月底当時、来客筋で小豆を売っていた方があった。ところがあの5 月2日、新甫底打ち、反転大爆発となった。
今までが漸落相場だっただけに、油断して、あの急騰を踏むに踏まれぬありさまとなり、取引店から強い追証の請求が来て、資産はあってもすぐ間に合う代用がなかった。
そこで是非なく、知人より証券を借りてがんばったのである。幸い大阪相場は反転暴落となり、損を取り戻して、手仕舞えた。
彼氏は当時鼻高々で、やはり辛抱が大事だといわれたので私はこう注意した。
「今回は運良くそれが良い結果を生んだが、今後に必ず悪い結果をおよぼしますよ」と。
その後6月初めの保合いに強気方針で買玉を建て、暴落に引っ掛かり、辛抱し、 前の儲けをそっくり失ったうえ、大損害を被ったのである。
これは誤った相場感と経験を資金の盾でかばい、深手を負った一番気の毒な見本である。
相場界の姿とその実際
頂上には成功して黄金の宝を持った巨人の姿も見える。これは新聞や世間話で知らされる。
登山口には投資家という資産家や実業人、サラリーマン、それに学者、定年退職者などいわゆる大衆投資家が、資金という人間社会での優位な武器を持って、なお一段高を望み、先を争ってヒシメキ合っておる。
登山口には別のグループもいる。それは黄金の山へ登ろうとする投資家の道案内人である証券や商品の取引員であり、いまひとつは新聞や雑誌等の投資研究機関である。
そして下山口には黄金の玉をなお持ち続けて出てくる人もあるが、数は少ない。多くは全身キズだらけ、手足を引きちぎられ、息もたえだえで放り出された哀れな姿の人たちばかりなのである。
問題は、相場の本質を知る前に、不思議な魔力に魅せられて、大切な資金を失ってしまう、その敗退の様相は素人も玄人も同じである。
即ち、初心者は自己の資金を頼りにして失くなるまで戦い頑張るし、経験者は技術と自己の過信とその名誉心に負けて敗退する。
「不手合の人が切るか煎れるかしなければ相場は止まらない。」
これは、経験すればするほどいやというほど知らされる。
百戦しても、一敗すれば元も子もすっ飛ぶ基本がここにある。
自己の資金や経験研究をあてにしても、相場に追われる時は、自分が損切りして敗退するまで相場は、毒蛇のごとく鎌首を持ち上げて、どこまでも追ってくる。
銀行預金の陰に隠れると、それをパクリと食べてしまうし、あわてて逃げ、倉に隠れると、その倉もまたパクリと呑み込んでしまう。これは大変と裏山に逃げれば、何をこしゃくなとその大きな山さえも、腹の中へ入れてしまうのである。
工場も、金山も、家屋敷も、相場に追われた場合の盾には決してならないのである。
一歩の後退は、百歩の後退の始まりなり、と私はいつも言う。
すなわち、一歩後退したくなるのは誰しも同じ心理状態であるが、これをやったら百歩の後退となり、トコトンまで相場に追われる結果になる。
家も山も田畑も飛ぶのはこの時である。
私は言う「素天井承知で売玉を踏み、ドン底承知で投げよ」と。
万人に一人も成功せず、相場界に顔を出したものは皆、その財産を失くして姿を消す実際を、いやというほど見てきているからそう説くのである。

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